寮で出会った北朝鮮からの学生たちのこと。

 TEDを観ていたら北朝鮮で140日間拘束されたという韓国系アメリカンのジャーナーリストの動画がのっていた。彼女の話を聞きながらふといくつかのことを思い出した。

 

www.ted.com

 

 去年の暮れ頃に寮の共有キッチンでご飯を作っていると、韓国語を話す何人かの男の子たちがやってきて隣で料理の下準備を始めた。声をかけられ、話をしてみると彼らが北朝鮮からの学生で、話していた言葉は朝鮮語だと知った。

 

 どこから来たのか聞かれたので、日本からだよとこたえると、彼が母親がよく家でお好み焼きを作ってくれたとを教えてくれた。お好み焼きが北朝鮮でも食べられるんだということが僕にとっては素直に新鮮なことだった。

 

 それからクラスのことや北京の生活のことや様々雑談していると、色んな事情があるにしても彼らもまた僕たちと同じように努力して悩んで留学生活を送っているのだなと思った。今度また一緒にご飯を作ろうと話して、その日は別れた。

 

 けれども、年が明けてアメリカからの圧力やらミサイルの問題が噴出しはじめた。時々彼らを寮で見かけることがあったけど、眼光がどんどんと鋭くなっていくように僕には思われて、話しかけることを憚るようになってしまった。

 

 今年の4月15日に、彼らの部屋の前をたまたま通りかかると、中からとても大きな音量で彼らが北朝鮮の歌をカラオケでうたっているのが聞こえてきた。その日は太陽節といって北朝鮮の祝日になるのだと後から知った。そしてその翌日にはミサイル発射実験が行われた。

 

I clearly remember the feeling of fear and being threatened, and tension rising up between me and the interrogator when we talked about politics. There definitely was a wall that we couldn't climb over. But we were able to see each other as human beings when we talked about family, everyday life, the importance of the future for our children.

 (私たちが政治について話したとき、私と取調べ官との間に恐怖や威圧にも似た緊張感が張り詰めるのを感じ、そこには越えることのできない壁が存在するのをはっきりと感じた。けれども、私たちが日々の暮らしのことや、自分たちの子どもの未来について語り合ったとき、私たちはそれぞれをひとりの人間として見ることができた

 

 

 何かの意見を主張したいと思ってこの文章を書き始めたわけではなく、動画のなかの「ひとりの人間として見ることができた」という言葉に強い共感を覚えてひといきにこの文章を書いてみた。(そもそも中国に来ている北朝鮮の学生は幹部の子どもなどが多いと言われていて、彼らの暮らしが他の人たちのと同じ水準にあるとは言えない)

 

 ただ、何かの固定観念に囚われているのは相手だけではなく自分自身もそうかもしれない、という想像力をふとしたときにでも持つことは大切だと思った。国と国のあいだの緊張が高まってくると、国の中にいる人たちがぼんやりとしてきてしまうけれど、そこにはやはり日々の暮らしの何気ない出来事のなかで喜怒哀楽を繰り返すひとりひとりの人間がいる。お好み焼きを食べる人たちだっている。それもまたひとつの確固たる事実だ。

 

 太陽節の一週間前に、トランプはチョコレートケーキを頬張りながら習近平に報復攻撃としてシリアへ59発のミサイルを放ったことを伝えたそうだ。そこにはもちろん北朝鮮への威嚇の意図も含まれている。そう思うと、誰が悪いのかとかということよりも、ミサイルを打ち合っているこの状況がただひたすらに愚かしいと感じてしまう。鋭く光る彼の眼が、ちらちらと脳裏に浮かんでは消えていく。