杭州旅行、覚えがき。

 昨年11月に杭州を訪れた時にとても懐かしく思えたのは、ひとつに宋代の美意識が街に深く息づいているからだと感じたけれど、さらに時代を遡って越人が揚子江の流れにのって長江文明を運んできたことも深く関係しているのではないかと今になっては思う。

 

 普段から北京で生活している僕にとっては南方のおだやかな気候や柔和な印象を与える人々の話し方など、まるで違った環境がそこにはあった。むしろ出身地である関西地方ともほとんど同緯度・同気候条件にあることや、、食文化も日本人には受け入れられやすい濃すぎない味付けで(もちろん例外はあるけれど)白ご飯に合うおかずが多く、滞在中終始リラックスして過ごすことができた。北方と南方では文化が大きく違っていること、長江文化圏と日本人の暮らしに似通ったところがあることを体感した。

 

 

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(鶏肉と大根を煮込んだもの、からだが温まってとても美味しかった)

 

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(西湖の奥にある小さなレストランで食べた揚げときのこの煮込み料理)

 

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(朝ごはんに海老の小龍包。一籠6元ほどだった気がする。)

 

 

 

 杭州では西湖や浙江省博物館、茶葉博物館などを観光したあとに、霊隠寺の石窟も訪れた。北方の石窟に見られるような見るものに肉薄してくるかの気迫はなく、山と渓流に映えるようなデザインとしての石窟という印象を受けた。三大石窟はすべて北方にあるけれど、精神修行には北の厳しい気候が向いているというのがあるのだろう。

 

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 古代中国の首都だった洛陽も西安も黄河や支流の近くにあったけど、黄河が山東半島から流れ出て遼東半島や朝鮮半島へ繋がっているというの地の利(東北部の騎馬遊牧民も避けられた)があったのは大きく、それは初期においては遣隋使のルートとも符合する。山東の孔子の儒学思想が朝鮮半島に浸透したのも地政学的な理由からもよく分かる。

 長江文明が日本に多様な生活様式をもたらしたのなら、黄河文明は精神性を運んできたと言える。それは南の温暖多湿な気候と、北の寒冷乾燥な気候の育む文化の違いを如実に表しているようで、そして二つの大河と日本の繋がりも感じられて、とても興味深く思えた。

 

 

 最終日の夜には中国美術学院に通う友人の紹介で寮と学内を見学させてもらい、中国人学生や留学生たちと交流することができた。芸術系を専攻するだけあって、寮の部屋に入りもてなしを受けたり、アトリエを兼ねた教室などに入ると、独特な感性を持った人が多くいること気がつかされる。

 寮ではスロバキアの友人がお茶をいれてくれた。冗談を言いながらみんなで雑談をしているとき、お土産を持ってきたことを思い出し、故宮で行われた趙孟フ展の複製画を渡した。すると今までとは目の光が変わって、それぞれが絵について真剣に討論しはじめたのがとても印象的だった。自分のフィールドで真剣に留学生活を送る友人たちから励ましと刺激を受けた思いだった。

 

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(訪れた日は課題提出の締め切りだった。教室には学生が作った作品の数々が展示されていた。)

 

 

 もう少しゆっくり時間をとることができれば、同じ浙江省にある天台山まで訪れてみたかったが、それは次の機会にゆずることになった。日本文化を知る上でも、宋代の美意識や、それ以前の大陸との交流において、浙江が重要な場所であることは間違いないと思う。今回の旅で得た気づきを引き続き思索していきたい。