永遠なるものたち――『地久天長』を観て

 

 『地久天長』という中国の一人っ子政策の暗部を見つめたリアリズム映画を観た。あまり期待をせずに観に行ったけれど、その思いは良い意味で裏切られた。三時間にもわたる長丁場の作品だったが、鑑賞後にはその長さはあまり感じず、深い余韻がずっしりと心に残った。

 

 主人公の夫婦には、一人っ子の星星(シンシン)という息子がいた。時代は改革解放直後、世界の工場として経済成長を遂げていく時期を背景としている。夫婦が住むのは、国営企業の工場が借り上げた北京のとあるアパートで、隣人たちはそれぞれを実の兄弟姉妹のように慕い暮らしていた。そのなかには、星星と同じ年の同じ日に生まれた浩浩(ハオハオ)という子どもがいて、当然のように主人公たちはその夫婦たちと深く付き合うようになっていく。しかし、ある日、不幸な事故をきっかけとして、星星はこの世を去ってしまう。また悲しいことに、星星の死は、浩浩の軽率な行動によってもたらされた一面があるのだった。

 

 時間軸を少し戻して、星星の死の前に、実は夫婦は二人目の子どもを妊娠してしまう。一人っ子政策下において、二人目の子どもを生むことは、第一にまず罰金を科せられる。しかし、映画をみていると、それ以上に社会的制裁とでも言おうか、周囲の人たちからの責めるような目線があることにもふと気がつかされる。農村の田舎に戻って生もうかと夫は提案するも、結局、周囲の人に隠しきれず、告発され、流産を余儀なくされた。不幸なことに、このときの手術が失敗し、妻は妊娠ができない身体になってしまう。ちなみに、このときに主人公妻を告発したのは、その仕事を受け持っていた、浩浩の母親だった。

 

 その後、工場は経営困難に陥り、大規模なリストラが始まる。恐らく、国策を守らなかったという罰の意味も込めて、主人公夫婦もこのとき、職を失うことになる。深い失意のなか、ふたりは北京から、誰も知る人のいない福建省の海岸部の土地へと引越しをする。

 その新天地でふたりは、亡くなった自分の息子によく似た男の子を養子として引き取ることになる。痛ましいのは、夫婦はその養子のことをも「星星」と呼びかけるのだった。しかし養子として来た子も、夫婦たちから漂う形容し難い悲しみの気配を感じ取ったのか、学校にも行かず、彼らとも頻繁にぶつかり合いながら、尖った子どもとして成長していく。

 結局、その空気に耐えられなくなった彼は、家を出て行くことを決める。そこで初めて彼は自分の身分証を渡される。自分の本当の名前は、星星(劉星)ではなく、周永福だった。そして夫婦に行き先を告げずに彼は家を出て行く。

 

 長々と書いたが、ここで描かれているのは、一人っ子政策が夫婦にもたらした、比喩的な意味での三度の死だと僕は思った。実の息子の事故死、政策によって生むことのできなかったわが子の死、そして養子として引き取った息子が家を出て行くという精神的な喪失。見ていて胸が苦しくなってくる。ただし、ここで終わればとても悲劇的な映画となってしまうのだが、ここからの展開が素晴らしく、観ていて心を深く打たれた。

 

 その後、時は流れ、かつての北京で深く付き合いを結んだ浩浩の母親は、重い病に侵されていた。彼女は心から一刻も離れなかったあの件について、どうしても自分が死ぬ前にあの主人公夫婦に会って謝罪したいと熱望する。それを聞いた夫は意を決して、主人公夫婦を北京に呼び寄せ、病室で20年ぶりの再会を果たす。ちなみに、成人した浩浩は立派な風格を備えた医者として成長しており、その再会の場にも同席していた。

 浩浩の母親が臨終の直前、朦朧とする意識のなかで、何かを必死に呟こうとしていて、主人公妻が耳を近づける。彼女はこう話した。「あの時、あなたを告発して、本当に申し訳なかった。今ならお金がたくさんあるから、あなたが生みたいなら、生んでもいいのよ」

 てっきり、浩浩が星星の事故死のきっかけになってしまったことを謝るのかと思ったので、意表をつかれた思いだった。しかし、その直後に、いや違う、これは浩浩がこの場に同席しているから、そのことを持ち出そうにも持ち出せなかったのだ、ということに思い至り胸が熱くなった。その後のシーンでも明かされるのだが、浩浩の前では、今後一切この事故死のことは話題にしないでほしいと、主人公夫婦の側から彼らにお願いしていたのだった。きっと大きくなれば、浩浩はそのことを忘れているだろうからと。生き残った子どもに、死の重みを背負わせてはいけないからと。

 

 それでは、浩浩はあの事故死のことを本当に忘れてしまったのだろうかというと、もちろんそんなはずはなかった。彼もまた幼馴染の死を、心の深いところで受け止め続けてきて、ここまで生きてきたのだった。そのことを後に主人公夫婦に独白する。医者という職業に彼がついているのも、贖罪のあらわれと言えるだろう。

 その後、久しぶりに戻ってきた北京で、星星のお墓の掃除をする夫婦のもとに、浩浩から電話がかかってくる。それは彼の子どもが今しがた無事に生まれたという知らせだった。多くの墓地が無造作に並ぶ乾いた大地を背景にしながらも、友人の死を受け入れ、あたらな生を育んでいくことを象徴するかのような、そのシーンの持つ美しさが心に響いた。

 

 大団円としてのラストにはなってしまうが、最後には出て行った養子の息子も恋人を連れて、福建の家に戻ってくるのだった。彼もまた、星星を直接的には知らないけれど、その死の影に強く苦しめられてきたひとりだった。彼と浩浩が、心の奥底で星星の死を受け止めて、自らの生をより深く生きていこうとする様子が、命の輝きが、本当に美しかった。

 

 映画のタイトルである「地久天長」は天地の存在は永遠であるということから、物事は永遠に続いていくことを意味する成語だ。夫婦の息子に対する血縁の有無をこえた愛情、深い悲しみと怒りを経験しても続いていく隣人たちとの友情、そして何より、死んでしまってもみんなの心の深いところで生きつづけている星星の生命。そういった永遠なるものたちを表しているのだろうと帰り道に映画を振り返りながらふと思った。

 


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