弥生文明、虐殺の歴史、再びの船旅--韓国旅行三日目~最終日

 

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(承前)

 

 ナムジュンパイクアートセンターをあとにして長距離バスに乗り昌原(チャンウォン)へと出発する。昌原には学部時代にお世話になった先生が大学で教鞭をとられていて、その方に会うために向かった。

 

 ソウル郊外から半島の中心を南にくだって走るのだけれど、水田に満ちる青い穂が美しく、弥生文明がここから日本に来たことをふと実感した。

 

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 到着後、先生に食事をご馳走になりながら、韓国生活のなかで感じることなど様々話を聞いた。 僕も今回の旅の目的の話をし、また自分自身の文学研究についてのアドバイスなどもたくさんいただいた。

 

 韓国の近代史の話題のなかで先生が済州島4・3事件のことを教えてくれた。それは朝鮮戦争の最初期の戦闘であり、米ソのイデオロギー対立によって引き起こされた虐殺の歴史だった。その4・3事件の際に多くの済州島の人々が船に乗って日本に逃れてきたという。その方たちがたどり着いた街が大阪の鶴橋・今里のエリアになるということだった。そこ は僕が生まれ育った場所から決して遠いところではなく、約70年前の虐殺の歴史が自分の身近なところとリンクしていたことに不思議な感慨を覚えた。

 


 古代史に目を向ければ、4世紀ごろに昌原の近くには伽耶と呼ばれた国が存在していて、日本とも交流があったという。古事記にも伽耶についての叙述が出てくるということで議論があるそうだ。また昌原の西はかつての百済が存在していたところで、ここも飛鳥の発展に大きく寄与したことで知られていている。このあたりの地域は古代から日本と文化的な交流が盛んであったことがうかがえる。

 

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 かつて伽耶があったとされる地域に国立の金海博物館があり、翌日はそこを訪れた。印象的だったのは豊富な須恵器の展示があったことだった。そして伽耶には鉄を上手に操る技術があったことも知ることができた。熱の扱いに長けた人たちが、渡来人として日本にたくさんの技術を運んでいったのだろう。それぞれの時代にそれぞれのブレイクスルーがあり、それをいち早く手に入れたものが時代の寵児になるのだとふと思った。博物館の最後には船の展示があり、海上の交流を通して伽耶と同様の鉄の技術を使った文物が日本各地から発見されていることなどが記されていた。

 

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 博物館をあとにして先生とモノレールにのって釜山へと向かう。色々な話を聞き、文物を見た後だからというのもあるけれど、窓からの景色を見ていると古代においては朝鮮半島と日本列島が緩やかな繋がりを意識していたことがありありと感じ取れた。また実際に陸路で旅をしながら気がついたのだけど、僕たちが普段見ている地図を上下逆さまにして眺めると、対馬海流と玄界灘をこえ九州に到達し、波の穏やかな内海の瀬戸内海に入り(ここまで来たとき古の旅人たちはどれほどの安心感を覚えたことだろう)、直進していくと大阪にぶつかる。かつての大和に蓄積するように文化が運ばれてきたのも、また4・3事件で逃れてきた人たちが大阪に辿りついたというのも、道理のある話のように思えてならなかった。

 

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 (洛東川、韓国政府統治下最長の河川)

 

 釜山でも先生に地元のご飯屋さんにたくさん連れて行っていただいた。豚肉を丸々煮込んだこの料理はご飯がすすんで本当においしかった。

 

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 直前に金海を訪れることを決めたのもあり、釜山は観光する時間がほとんどなかったけれど、港町特有の雰囲気――街に漂う潮の香り、勾配に沿うように佇む家々、開放的な港の景色など――に強く魅了された。また宿泊した釜山駅近くのゲストハウスのマスターもとても気さくな方で、また是非この町に戻ってきてゆっくり観光したいと思った。

 

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 (ロッテデパートから望む釜山の町と釜山港)

 

 翌朝は8時半の便で福岡に向かうことになっていた。7時にドミトリーを出て釜山港へと歩いて向かった。北京の寮を離れておよそ一週間、束の間の再びの船旅を経て、半年振りに日本の地を踏む。

 

 

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