胡同の帰り道

――北京での生活について、日常の雑感を書き記していきます。

朝とも夜とも言えない時間のはざまで

音楽を適当に流しながら帰省の荷物を整えていると不意にこの曲が鳴り始めた。

夜行バスに乗るときはいつもこの曲を聴いていたのだけど、ふと、この間夜行バスに乗ったのはいつのことだろうと思って少し寂しくなった。帰省する頻度が少ないからとこの頃はずっと新幹線か飛行機で帰っていたから、そういえばもうすっかりご無沙汰していたのだった。

大学進学が決まって、はじめて夜行バスでひとり上京してきたときの、朝とも夜とも言えない時間の閑散とした駅前で感じた心の揺らぎを、いつまでも忘れていたくないな。

 

 

 

くるり グッドモーニング

 

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本当の強さ

夏の話になるけれど、ふと思い出したので書き記そうと思う。

 

大阪四季劇場にてライオンキング鑑賞。

ライオンキングのことはほとんど何も知らなかったけど、それが逆に良かったのかもしれない。見どころたくさんで思ったこともたくさんあったけれど、死生観を表現した部分が一番心に残った。

 

「生は死からうまれ、死は生からうまれる」

 サバンナの自然の循環。それは肉食動物が草食動物を喰らい、草食動物は肉食動物が死んで肥えた大地の草木を食べる。生と死の絶妙な連鎖、そうして保たれていく自然のバランス。
物語は進み、やがて父が死ぬ。残された子にはその死を上手く受け止めることはできない。ふたりの間の時間は静止したまま、世界の時間だけが流れていく。故郷を去る、旅に出る、異なるものたちに触れる。そうして子は少しずつ成長し、やがて再び故郷に帰り、自分の暗い過去と向き合うことに。そして、深い葛藤と苦悩の末に、少しずつ父の死を認識し始める。その瞬間、子の心に父の声が蘇る。父との時間が再び流れ始め、父は子の心のなかで再び息をふきかえす。父の死を本当の意味で受け止められた瞬間に、父は子の心のなかで再び生き始める。生は死からうまれ、死は生からうまれる。お父さんの命が、子どもの心のなかに受け継がれた瞬間、僕は深い深い感動に包まれた。他の作品ももっともっと観てみたいなと思った。 大阪の四季劇場はビルの7階(くらい)にあるので、退場の際はエレベーターで地上に向かう。少しずつ地上に近づいていく感じが良かった。頭のなかのスイッチがきちんと切り替えられるような、元の世界にまできちんと案内してくれる感じに、何となく心配りを感じて、嬉しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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毎週水曜日のランチ(每周三的午餐)

毎週水曜日、僕は決まって学内のとあるカフェに集まった。

 

誰が言い出したでもなく、それがいつ始まったのかもよく覚えてないけれど、それはもうずっと昔からそう決められていたかのように、自然と僕たち4人は毎週水曜日のランチの時間になるとそのカフェに集うようになっていった。メンバーは日本人の僕たち2人組と、チェコ人の彼女たち2人組である。背の高い彼女と、背の低い彼女。彼女たちは実によく喋る。特に背の高いほうの彼女はよく喋る。ランチはだいたいいつも1時間ほどだけど、時々その彼女がほとんど一時間しゃべり倒すときもあった。

 

僕たちは色んな話をした。彼女たちの話を聞けば聞くほど、チェコという国がよく分からなくなってくる興味深い時間だった(しかも話が断片的な分、尚更僕たちの想像力は刺激される)。印象的だったのは、背の高い彼女の弟についての話だ。

「私の弟は今の高校が三つ目になるのよね」と彼女は言った。「マリファナばっかりやってて、ロクに学校に行かないのよ(※彼女の家族たちが住むプラハは大麻が合法化されている)いつも出席日数が足りなくて進学ができなくなって学校から追い出されちゃうわけね。参ったものよ」

「けれどもそんなに何年も学校に通っていたら学費が大変なことにになるんじゃないの?」と僕は聞いた。

「チェコは学費が無料だからそこは問題ないのよ。問題は学費が無料でも学校を卒業できないアイツにあるのね」と忌々しそうに彼女は言った。なるほど、と僕は思った。

それから僕が日本の学費の高さについて、そして奨学金という名の学生ローンについて説明をすると彼女たちは文字通り目を大きく丸くして驚いていた。彼女たちは実に表情が豊かなのだ。

「そうなると大学を卒業するまでにはひどい借金を背負うことになるのね」と彼女が聞いた。給付金の奨学金を得られなければそうなる、と僕は答えた。「残念ながらあなたは私の子どもになることはできないわね、養育費が高すぎるわ」と背の高い彼女は言って笑った。彼女は独特なユーモアセンスを持っているのである。

 

その他にも1週間の内に起きた出来事や、それぞれの国の結婚と離婚についての価値観、食事の話、文学の話。それ以上にくだらない話もたぶんいっぱいした。
そして聞いてもいないのにべらべらと自分の意見を述べる彼女たちが、求めてもいないのに僕の進路についてアドバイスしてくれた(しかも若干否定的な)彼女たちが、反米な彼女たちが、僕はとても好きだ。

 

ある日、夢をみた。夢のなかで背の高いほうの彼女が僕のギターに合わせてRadioheadのKarma Policeを歌っていた。
そのことを後日彼女に告げると、「その曲は好きよ。でも一番好きな曲は2+2=5ね」と言った。素敵なセンスをしているとおもった。

 

北京という街の面白さは中国人だけではなく彼女のような人たちに出会えるところにもある。いつか、大学卒業までにお金をためて、チェコにいって彼女たちに会いに行きたい。そして彼女たちの話の真実を確かめに行きたい。

 

カフェの名前は「Nowhere Cafe」、どこでもないカフェ、どことも知れぬカフェ。

 


Radiohead - 2+2=5 - YouTube

 

祝/言

 天安門広場から少し東にいったところにある東単駅、その駅の近くにある劇場でお芝居を鑑賞してきた。タイトルは『祝/言』、劇団「弘前劇場」を主宰する長谷川孝治団長作の、日本の3.11と生き残った者たちのその後の生活をモチーフにした作品で、日中韓三カ国の役者が演じる。

 

 

中日韩三国合演戏剧《祝/言》

http://www.douban.com/event/21470322/

 

「祝/言」、中日韓から311犠牲者への弔い

http://japanese.cri.cn/881/2014/05/25/142s221487.htm?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter#0-twi-1-11147-7250227817ecdff034dc9540e6c76667

 

 

 正直に打ち明けると、このお芝居を見終わったあとの僕はひどい混乱に陥っている。思いのかけらを拾い集めようとしても、不安定な心がそれを遮り、感想いつまでたっても言葉にならないままだった。しかし、それでも僕は何とかしてその思いを言葉にしなければならない。ここでその作業を諦め、言葉を心のおくに押し込め、いつもの生活に戻っていくことは今の僕にとっては何よりも簡単なことではあるけれど、そうしてしまうと、僕はあの日、会場で感じた大切な何かを失ってしまうような気が強くするのである。苦しさと焦りと戦いながら、以下、言葉をつむいでいこうとおもう。

 

 お芝居は震災を生き残った中国人女性が、震災で亡くなった死者たちと対話するというシーンから始まった。何故かこのシーンだけ涙が溢れてとまらなかった。あの日から三年の月日が流れた。現実世界の時間は流れていく。それにともなった思い出も増えていくし、僕たちは否応なしに変化し続けていく。しかし、あの日を生き伸びた人たちの時間は、本当はあの日から止まったままなのかもしれない。もしくは、ふとした瞬間に、それは死にゆきた人たちとの思い出に触れる瞬間であったり、あの日と同じ匂いの風が吹き抜ける瞬間であったり、自分のなかの整理しきれない感情に気がつく瞬間であったり、そういった瞬間に再びあの日の自分に引き戻されてしまっているのかもしれない。冒頭の死者との対話のシーンは、僕にそういった印象を強烈に与えた。それは忘れようにも、決して忘れることのできない出来事であり、乗り越えようにも、乗り越え方すら分からず、そして乗り越えることが正しいのかどうかすらも分からないほどの悲劇的な記憶なのだ。

 

 物語は続く。穏やかなシーンが続くにつれて涙は乾いていく。生き残ったものたちの心情が吐露されるシーン、韓国人と日本人が出会い惹かれあっていくシーン、結婚式の前日の言葉を越えた音楽のセッション、式当日の中日韓伝統音楽のセッション、そして2011年3月11日午後2時46分。

 

 印象的なセリフの多いお芝居だった。いくつか引用してみようと思う。(以下、会場で配られていた写真集より引用。)

 

「記憶をなぞって生きるのは愚かだ。けれど、記憶のない生活は切ない。ひとつ記憶をつぶすと、1つ物語が生まれた。」

「忘却がなくては人が生きることは難しい。それは神が人間に与えた贈り物。だが、時に人は忘れている自分を許せなくなる。」

「津波に襲われて瓦礫と化した中学校の教室で、中国人が泣いている。彼女は津波が襲ったホテルのロビーでただ1人生き残った。生き延びた者には義務が付随した。すなわち、考え続けるという状態である。それは過去を想起することでもなく、未来を措定することでもなかった。ただ、現在を疑うことだった。彼女ができたことは自身を疑い、死んだ者たちの代りに未来を生き続けることだった。」

 

 記憶は内在するもの。それが例えばこうして演劇作品になるとき、それは外在する。人の記憶には、正確には人が常に意識していられることには、限界があるとおもう。辛いことをいつまでも記憶し続けていては、その人自身の精神がもたなくなるかもしれない。人は記憶を外在化させることで、自身の記憶のクローゼットを整理し、心にいくらかの余裕をもたせることができる。記憶の外在化はその表現技法を問わずアートが生まれる過程ともいえる。人はアートすることで自分の身を守ることができるのかもしれない。

 

 公演終了後、簡単なアフタートーク会が開かれた。そこで印象的だったのは中国人の観客たちのあまりも真っすぐな質問だった。「三カ国合作といいながらも中国芸術の色が薄かったのではないか」「芸術がもたらす役割とは」「福島で子供が生まれるということは、それは希望なのか絶望なのか」など。とくに最後の質問には僕もとても驚かされた。しかしそれは非常に核心をつく真っすぐな質問でもあった。

 

 その質問には福島県出身の男性役者さんが答えることになった。彼はゆっくり言葉を選びながら語った。福島の今の現状を、それでも福島を愛する自分がいるということを。そして質問にはこう答えた。僕たち大人たちが、その事実を希望に変えられるよう、精一杯努力しなければならない、と。

 

 帰り道、僕は今日一日を振り返る。そしてお芝居のなかには、僕たちがその悲劇の記憶とどう向き合えばいいのか、その明確な答えが示されていないことにふと気がつく。それは僕が自分自身で思考し続け、生き続けていく中で、掴むしかない。僕はただ監督の外在化された記憶に大きく揺り動かされたのだ。今でも心は共振しつづけている。

老舎『駱駝祥子―らくだのシアンツ 』

中国文学読書会、老舎『駱駝祥子―らくだのシアンツ 』。学のないひとりの車引きの物語。

北京の方言を使って書かれた本で、最初は言葉に慣れるのに苦労したけど、後半はぐいぐいと作品に引き込まれてそのまま読了した。

20世紀前半の貧しかった時代の北京の悲痛な現実が、文化のない貧しき人々の営みが、叫びが、鋭い刺のように心に突き刺さり、その現実に息がつまりそうになる。そういった不条理や貧富の差異が、文化の生まれる源泉になり得えると思うとそれはひどく残酷な事実だと僕は閉口してしまう。しかし同時に、この世界の悲惨な現実の前に茫然と立ち尽くすことしかできない人々に希望を与えるのもまた文化なのだと思うと、文化っていったい何なのだろうと改めて考えさせられる。

この作品の特徴として、その情景描写の美しさがあげられるだろう。北京の日の出の、吹き抜ける強い風、セックスを暗喩した夜空の星々、残酷に降りしきる雨、それらの描写は思わず息をつくほどに美しい。しかし、読み進めていくうちにあることに気がつく。自然はこんなにも美しいのに、人の世はこんなにも悲惨なのだということに。男は汗を売り、女は体を売る。暑い夏がくれば人は死にゆき、みんなそれを当たり前のように、機械的に受け入れる。そして自然の営みもそんなことはいっこうに気にしない。それでも太陽は毎日昇り続け、風は爽快に吹き続け、雨は冷たく降り注ぎ、花々は依然として美しいままなのだ。自然は、時間は、世界は、宇宙は、僕たち人間のためには決して立ち止まってはくれない。その当たり前すぎるほどに当たり前な事実を厳然とつきつけられたとき、僕は胸が締め付けられそうな思いになる。自然は美しく、人の世は悲惨なのである。

北京に住み始めて2年と少し。発展を続けるこの街にはどこか重苦しさも漂うと事あるごとに感じていた。今まではそれが北京は政治の街だからという理由で納得していたけれど、この本を読んでそこに新しい理由がくわえられた。この街には、今からそう遠くはない時代に、本当に悲惨な時代がたしかに存在したのだ。そしてその傷は今もまだ癒えていないのかもしれない。

 

以下、印象的だった文章を少しだけ翻訳してみた。

「经验告诉了他,明天只是今天的继续,明天承继着今天的委屈。」
経験は彼にこう教える。明日は今日の続きにしか過ぎず、明日は今日のつらさも受け継いでいる、と。

「雨下给富人、也下给穷人;下给义人,也下给不义的人。其实,雨并不公道,因为下落在一个没有公道的世界上。」
雨はお金持ちにも貧しき人々にも降りそそぐ。義のある人にも降り注ぐし義のない人にも降り注ぐ。しかし実際は雨は全く公平ではないのだ。何故ならそれは公平ではないこの世界に降り注ぐのだから。

「在沙漠里养不出牡丹来。」
砂漠に牡丹の花は育たない。

 

読書会を指導してくださる先生はよく腰に手を当て軽く天を仰ぎながら快活に笑われる。先生は北京出身だ。真面目な方ではあるけど、おそらく根は面白おかしいことが好きなのかもしれない。冗談ともとれることもよくおっしゃる。その先生が読書会中、時々(不肖な僕はいつもそのスイッチがいつ入るのかよく分からない)暗闇の先を見つめるような鋭い眼差しで静かに何かを語りだす時がある。それは現代中国語の発展の歴史の話であったり、あるいは現実主義文学と虚構とのバランスについての話だったり、あるいは文革の話だったり。何を語り始めるかはその時になるまで分からない。僕にできることはただその瞬間を、重くもあり美しくもあるその時間を、全身で受け止めることだけだ。

 

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太宰治『津軽』

「在る年の春、私は、生まれてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ3週間ほどかかって一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件のひとつであった。」

 この一文から始まるは太宰治の『津軽』。編集者からの依頼により、太宰が生まれ故郷の青森県・津軽半島を、約3週間かけて旅をし、それを紀行文として著した一冊。太宰のユーモア精神にあふれた、彼の作品のなかでは比較的明るい方に属する作品だ。

 自分探しの旅と書くと陳腐で安っぽく聞こえてしまってとても残念な気持ちになるけど、青森の歴史とそれに重ね合わせて自分自身の生い立ちを回顧していく太宰のその作業は自分探しの旅と形容するのがやはりしっくりくる。

 それぞれの村の歴史、幼少期の思い出、人々の暮らし、そういったものへの自虐的なユーモアを含んだ温かい記述から始まり、やがて、彼の記憶は、螺旋階段を下っていくかのように、さらなる意識の深みへと潜っていく。それを象徴するかのように、物語の後半に向かうにつれて、父や兄、母への想いがわずかではあるが吐露され始める。

 

「その翌春、雪のまだ深く積もっていた頃、私の父は東京の病院で血を吐いて死んだ。(当時太宰は14歳)」

「父が死んでからは、私は現在の長兄に対して父と同様のおっかなさを感じ、またそれゆえに安心して寄りかかってもいたし、父がいないから淋しいなどと思った事は一度もなかったのである」

 

 父がいないから淋しいなどとは思ったことはない、という強がりににも似た言葉から何となく淋しさを感じてしまう。

 家とはまさしく自分の生まれてきたところであり、家族と向き合うということは、自分の生を向き合うことに通じると思う。自分探しの旅は、自分の生を見つめる旅へと深みを帯びていく。その旅の終わりで、太宰は育ての親の女中・たけと再会する。たけと再会し、彼女の愛に再び触れ、自分の本質はこの人から受け継いだのだと納得する太宰。

「先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いのようなものを与えてやっているものなのだろうか」

 彼がこの巡礼の旅を通して、最後に辿りついたのは、母なるものの愛。人はみんな母から生まれ、母のもとへ帰っていく習性を具えているのか、そんなことをぼんやりと考えたとき、ヘッセの『知と愛』の最後のナルチスとゴルトムンとの対話の一節をふと思い出した。

 

「だが、ナルチス、君は母を持たないとしたら、いつかいったいどうして死ぬつもりだろう?母がなくては、愛することはできない。母がなくては、死ぬことはできない」

 

 ひとりの人生を振り返るだけで、こんなにも愛の深み、生の深みを感じることができる。ひとりの人間の偉大なこと。

世界は想像していたよりもずっと広いような気がした話

この一週間はたくさんの出会いがあった。

正確にはそれは新しい出会いというよりかは、前から知っていた人たちときちんと知り合えたと言ったほうが正しいのかもしれない。

様々な国からやってきた留学生と話すにつれ、世界各地域で流れている時間軸がどんどんと僕の脳内の世界地図上で立体的になっていく感覚を覚える。

(もちろんそのほとんどがまだ未知なる部分で満ち溢れている偏った未完成の世界地図なのだけど)

僕が考えたこともないような世界を生きぬいてきた人の話を聞いていると、まるで整理された本棚が地震によって簡単に倒されてしまうように、思考のフレームワークは脆くも崩壊してしまう。

 

あなたのことを知るにつれて、不思議と僕のこともクリアーになっていく。

 

それが世界のスタンダードなのか、或いは大学内だけの現象なのかは分からないけど、複雑な環境のなかで生きてきた人が多いように感じる。

両親は中国人だけどフランス国籍のイギリスで中等・高等教育を修めた彼女、マレーシアで育った母語は英語のタイ人の彼女、韓国語は一切喋れない日本育ちの韓国人の彼、中央アジアの様々な国の血が混じり合ったロシア人の彼女。

もちろん、どこの国の人だとか、そんなことは人間関係を築く上ではあまり気にする必要のないことなのだけど、彼/彼女たちの姿を見ていると、そこには「自己分析」や「自分探し」などという言葉では掬いきることのできない思いがあるような気がする。

 

ある日の休憩時間に、カザフスタン人のクラスメートに、カザフ語で僕の名前をノートに書いてもらった。

彼女に聞いた、この文字の由来を辿ればどこに行きつくのかと。

 

「すごく昔のことなんだけど、元々私たちの文字はトルコの言葉の影響を深く受けているのよ。ついでに言うと、カザフスタン人はその頃はまだヨーロッパ人のような容姿をしていたのだけど、モンゴル族の侵略のときに、アジア人の血がたくさん入ってきてしまったの。それからずっと今に至っているという感じね」

何だかとても新鮮だった。地続きの大陸というのはこういうことなのかと今更ながらはっとさせられた。複雑な歴史背景なのだろうと推察する。高校の世界史の先生は、どうしてそんなことも教えてくれなかったのだろう。そんなことを思いながら、部屋に帰って日本から持ってきていた世界史の教科書を開いてカザフスタンやトルコ、中央アジアに関する記述をひとしきり読んでみたけど、僕にはうまくその文字のなかの世界を想像することはまだできなかった。ただアジア大陸を縦横無尽に駆け抜けるトルコ民族の姿や、血の気盛んな元の戦士たちや、それに翻弄される庶民の姿がぼんやりと脳裏に浮かんだだけだった。

 

そういえば、上に書いたフランス国籍の彼女は、イギリスで市民権を取得していて、基本的にはいつでもイギリスに帰って生活することができるのだと言っていた。

僕が遊ぶことと好きな女の子のことについてしか考えていなかったとき、心地よい疲れの中で6時を告げるサイレンを聞いてノスタルジアを抱きながら赤く染まった町のなかで家路に着いているとき、彼女たちも彼女たちの時を刻んでいた。

世界はなんだかとてつもなく広いな、とため息交じりに思った僕はひとまず本棚の整理を終えることとした。

 

 

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