サンマロでの思い出、或いはケルト文化と日本の繋がり。

 二年前の夏に友人とフランスに二週間ほど旅行に出かけた。パリにある主要な美術館などを巡りたいというのはもちろんだけど、それ以上に中国で知り合ったフランスの友人カップルたちに会いに行きたいという思いが僕たちにはあった。

 

 友人たちの家でもてなしを受けたあと、彼らの勧めにしたがって僕たちはフランス北西部に位置するサンマロというイギリス海峡に面した港町を訪れることにした。

 サンマロの中心部は城壁のなかに存在していて、城壁内にはパン屋さんやカフェはもちろん、ブティックから玩具屋さんまで雑多なお店がひしめきあっていた。フランス人のなかでは夏のバカンス先としても人気が高く、城郭内も砂浜も多くの人でにぎわっていた。

 

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(城壁は二重城郭になっていた。)

 

 

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 サマータイムとフランス西部に位置していることもあり、日照時間がとても長く、夜の九時過ぎにようやく日没を迎えた。

 

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 とても不思議なことなのだけれど、パリやセーヌ地方、ルーアンやジベルニーなど様々な場所を訪れたフランス旅行のなかで、このサンマロが僕の心の中には最も強い印象を残していたのだった。深く胸を打たれたということであれば、パリ郊外のマルモッタン美術館地下でみた夥しい図のモネの睡蓮の絵や、実物のルーアン大聖堂の圧倒的な存在感などのほうがはるかに衝撃的であった。それでもどうしてなのだろう。この二重城郭に囲まれた小さな港町は、僕の心のなかに深く根を張るようにじっと静かに留まり続けていたのだった。

 

 と、長々とサンマロの思い出を振り返っていたのには理由がある。実は昨日、そのフランスの友人と北京で再び会う機会があったのだった。僕がサンマロについて抱いていた印象を友人に告げると、友人はサンマロの歴史を簡単に話してくれた。

 フランスのなかではサンマロのある地域をブルターニュ地方と呼ぶこと、ブルターニュは英語のBritainから来ていて多くのケルト人がイギリスから移り住んできたことに由来していること、そしてブルターニュには今でもケルト文化の印象が色濃く残っていること。

 友人がそう話してくれるのを聞いて、僕の中で何かがすとんと腑に落ちたような気がした。よく言われることだけれど、ケルト文化と日本の特に縄文文化には極めて似た性質が存在しているという話がある。その最たる例のひとつは、縄文土器に見られるような渦を巻いたような独特な文様だろう。ケルトの文物にも同じように渦を巻いたものが多々見られる。

 渦の文様は海からその着想を得たものだと予想される。縄文人は海洋民族の一面を持つことが知られていて、またブルターニュにケルト文化が色濃く残っているということも、海の存在がそこに関連しているように思われる。とは言ってもこれはまだかなり目の粗い論理で、詳しく見ていくにはケルト文化の発展過程をきちんと追っていかなければならない。ただ、旅の途上で得た言葉にすることが難しい直感的な印象に、遠く離れたフランスと日本の繋がりが少し見えたのが個人的には嬉しかった。

 

 ケルト文化と日本の繋がり、自分のなかでそれが理解から実感へと少しだけ変化したようなそんな気がした。