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胡同の帰り道

――北京での生活について、日常の雑感を書き記していきます。

太宰治『津軽』

「在る年の春、私は、生まれてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ3週間ほどかかって一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件のひとつであった。」

 この一文から始まるは太宰治の『津軽』。編集者からの依頼により、太宰が生まれ故郷の青森県・津軽半島を、約3週間かけて旅をし、それを紀行文として著した一冊。太宰のユーモア精神にあふれた、彼の作品のなかでは比較的明るい方に属する作品だ。

 自分探しの旅と書くと陳腐で安っぽく聞こえてしまってとても残念な気持ちになるけど、青森の歴史とそれに重ね合わせて自分自身の生い立ちを回顧していく太宰のその作業は自分探しの旅と形容するのがやはりしっくりくる。

 それぞれの村の歴史、幼少期の思い出、人々の暮らし、そういったものへの自虐的なユーモアを含んだ温かい記述から始まり、やがて、彼の記憶は、螺旋階段を下っていくかのように、さらなる意識の深みへと潜っていく。それを象徴するかのように、物語の後半に向かうにつれて、父や兄、母への想いがわずかではあるが吐露され始める。

 

「その翌春、雪のまだ深く積もっていた頃、私の父は東京の病院で血を吐いて死んだ。(当時太宰は14歳)」

「父が死んでからは、私は現在の長兄に対して父と同様のおっかなさを感じ、またそれゆえに安心して寄りかかってもいたし、父がいないから淋しいなどと思った事は一度もなかったのである」

 

 父がいないから淋しいなどとは思ったことはない、という強がりににも似た言葉から何となく淋しさを感じてしまう。

 家とはまさしく自分の生まれてきたところであり、家族と向き合うということは、自分の生を向き合うことに通じると思う。自分探しの旅は、自分の生を見つめる旅へと深みを帯びていく。その旅の終わりで、太宰は育ての親の女中・たけと再会する。たけと再会し、彼女の愛に再び触れ、自分の本質はこの人から受け継いだのだと納得する太宰。

「先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いのようなものを与えてやっているものなのだろうか」

 彼がこの巡礼の旅を通して、最後に辿りついたのは、母なるものの愛。人はみんな母から生まれ、母のもとへ帰っていく習性を具えているのか、そんなことをぼんやりと考えたとき、ヘッセの『知と愛』の最後のナルチスとゴルトムンとの対話の一節をふと思い出した。

 

「だが、ナルチス、君は母を持たないとしたら、いつかいったいどうして死ぬつもりだろう?母がなくては、愛することはできない。母がなくては、死ぬことはできない」

 

 ひとりの人生を振り返るだけで、こんなにも愛の深み、生の深みを感じることができる。ひとりの人間の偉大なこと。