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胡同の帰り道

――北京での生活について、日常の雑感を書き記していきます。

祝/言

 天安門広場から少し東にいったところにある東単駅、その駅の近くにある劇場でお芝居を鑑賞してきた。タイトルは『祝/言』、劇団「弘前劇場」を主宰する長谷川孝治団長作の、日本の3.11と生き残った者たちのその後の生活をモチーフにした作品で、日中韓三カ国の役者が演じる。

 

 

中日韩三国合演戏剧《祝/言》

http://www.douban.com/event/21470322/

 

「祝/言」、中日韓から311犠牲者への弔い

http://japanese.cri.cn/881/2014/05/25/142s221487.htm?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter#0-twi-1-11147-7250227817ecdff034dc9540e6c76667

 

 

 正直に打ち明けると、このお芝居を見終わったあとの僕はひどい混乱に陥っている。思いのかけらを拾い集めようとしても、不安定な心がそれを遮り、感想いつまでたっても言葉にならないままだった。しかし、それでも僕は何とかしてその思いを言葉にしなければならない。ここでその作業を諦め、言葉を心のおくに押し込め、いつもの生活に戻っていくことは今の僕にとっては何よりも簡単なことではあるけれど、そうしてしまうと、僕はあの日、会場で感じた大切な何かを失ってしまうような気が強くするのである。苦しさと焦りと戦いながら、以下、言葉をつむいでいこうとおもう。

 

 お芝居は震災を生き残った中国人女性が、震災で亡くなった死者たちと対話するというシーンから始まった。何故かこのシーンだけ涙が溢れてとまらなかった。あの日から三年の月日が流れた。現実世界の時間は流れていく。それにともなった思い出も増えていくし、僕たちは否応なしに変化し続けていく。しかし、あの日を生き伸びた人たちの時間は、本当はあの日から止まったままなのかもしれない。もしくは、ふとした瞬間に、それは死にゆきた人たちとの思い出に触れる瞬間であったり、あの日と同じ匂いの風が吹き抜ける瞬間であったり、自分のなかの整理しきれない感情に気がつく瞬間であったり、そういった瞬間に再びあの日の自分に引き戻されてしまっているのかもしれない。冒頭の死者との対話のシーンは、僕にそういった印象を強烈に与えた。それは忘れようにも、決して忘れることのできない出来事であり、乗り越えようにも、乗り越え方すら分からず、そして乗り越えることが正しいのかどうかすらも分からないほどの悲劇的な記憶なのだ。

 

 物語は続く。穏やかなシーンが続くにつれて涙は乾いていく。生き残ったものたちの心情が吐露されるシーン、韓国人と日本人が出会い惹かれあっていくシーン、結婚式の前日の言葉を越えた音楽のセッション、式当日の中日韓伝統音楽のセッション、そして2011年3月11日午後2時46分。

 

 印象的なセリフの多いお芝居だった。いくつか引用してみようと思う。(以下、会場で配られていた写真集より引用。)

 

「記憶をなぞって生きるのは愚かだ。けれど、記憶のない生活は切ない。ひとつ記憶をつぶすと、1つ物語が生まれた。」

「忘却がなくては人が生きることは難しい。それは神が人間に与えた贈り物。だが、時に人は忘れている自分を許せなくなる。」

「津波に襲われて瓦礫と化した中学校の教室で、中国人が泣いている。彼女は津波が襲ったホテルのロビーでただ1人生き残った。生き延びた者には義務が付随した。すなわち、考え続けるという状態である。それは過去を想起することでもなく、未来を措定することでもなかった。ただ、現在を疑うことだった。彼女ができたことは自身を疑い、死んだ者たちの代りに未来を生き続けることだった。」

 

 記憶は内在するもの。それが例えばこうして演劇作品になるとき、それは外在する。人の記憶には、正確には人が常に意識していられることには、限界があるとおもう。辛いことをいつまでも記憶し続けていては、その人自身の精神がもたなくなるかもしれない。人は記憶を外在化させることで、自身の記憶のクローゼットを整理し、心にいくらかの余裕をもたせることができる。記憶の外在化はその表現技法を問わずアートが生まれる過程ともいえる。人はアートすることで自分の身を守ることができるのかもしれない。

 

 公演終了後、簡単なアフタートーク会が開かれた。そこで印象的だったのは中国人の観客たちのあまりも真っすぐな質問だった。「三カ国合作といいながらも中国芸術の色が薄かったのではないか」「芸術がもたらす役割とは」「福島で子供が生まれるということは、それは希望なのか絶望なのか」など。とくに最後の質問には僕もとても驚かされた。しかしそれは非常に核心をつく真っすぐな質問でもあった。

 

 その質問には福島県出身の男性役者さんが答えることになった。彼はゆっくり言葉を選びながら語った。福島の今の現状を、それでも福島を愛する自分がいるということを。そして質問にはこう答えた。僕たち大人たちが、その事実を希望に変えられるよう、精一杯努力しなければならない、と。

 

 帰り道、僕は今日一日を振り返る。そしてお芝居のなかには、僕たちがその悲劇の記憶とどう向き合えばいいのか、その明確な答えが示されていないことにふと気がつく。それは僕が自分自身で思考し続け、生き続けていく中で、掴むしかない。僕はただ監督の外在化された記憶に大きく揺り動かされたのだ。今でも心は共振しつづけている。