バス停の彼女とクラスメートの彼ら。

 先日、大学近くのバス停でバスを待っていたら、わりと綺麗な身なりをした同年代くらいの女性が突然声をかけてきた。いきなりのことだったので何を言っているのかよく分からず聞き返してみると、「私は今日、遠いところから北京まで旅行にやってきた。しかしあまりお金を持ち合わせておらず、少しでもいいので分けてくれないか」というようなことを言っていた。随分と変わったことを言う人だなあと思ったところで、待っていたバスが向こうからやってくるのが見えてきたので、そのまま聞き取れないふりをしてやり過ごそうと思った。それでも何度も話しかけてくるので、「申し訳ないけれど、僕にはあなたの言っていることがよく分からないんです」とだけ言った。すると彼女は「ああ、あなた日本人でしょう?日本鬼子ね」と言ってどこかに去っていった。いきなりのことだったけれど、その言葉に傷ついたという感情はあまりなく、むしろこういう若い女性からでもそんな言葉を聞くことがあるのだなあとバスに揺られながら僕は意外に思った。

 

 話は変わって、今、僕の所属している現代文学専攻科には僕を含め三人の男子学生がいる。中文系全体では女性のほうが多いので、僕としては彼らがいてくれてとても気が楽になったし、勉強面でいろいろ助けてくれたりもしてくれて、とても感謝している。その二人は同じ寮の同じ部屋に住んでいるということで、この前部屋まで遊びに行った。するとひとりの机の上に中国の国旗が挿されているのを見た。そういえば、彼らふたりと初めて会った日、国旗の彼が僕に冗談っぽく「中日関係についてどう思う?」と聞いてきた。するともうひとりの子がそれを制止して「そんなことは初めて会った日に聞くことじゃないよ」と言った。僕もその時は政治の話が好きな好奇心のあるやつなのかなあくらいにしか思わなかったけど、彼の日常の何気ない言動、極端な発言で有名なある愛国的(反日的)な先生の研究室に自ら進んで入っていったこと、それからこの机に挿された赤い国旗を見て、いろいろと合点がいった。彼がどうしてそう思うようになったのかはまでは僕には分からない。もしかしたら家族や親戚のなかに日本のせいでとても辛い思いのした人がいるからかもしれないし、彼が個人的に読んできた本や触れてきた先生たちの影響なのかもしれない。だけども、僕としてはそんなことに関わらず彼が僕に対して良くしてくれているということ、何よりもその事実を大切にしたいと強く思った。

 

 中国でいろいろな「愛国(或いは反日)」的な人を見ていると、それがある境目をしてふたつに分けられるような気がした。それは誰かを貶めることでしか掲げられない「愛国」と、自分の胸のなかに秘めている静かな「愛国」。誰かを傷つけることは、結局は自分自身を傷つけていることと同じなのだから、そんな風にして立ち上がる愛国心はとても危うくてもろいと僕は思う。後者の愛国はどうだろう。僕としてはそういう人たちが胸の奥に秘めている言葉に耳を傾けたいと強く思う。そこにその人をつくる大切なものが潜んでいるような気がする。

 

 本当はそんなものにとらわれずに、目の前にいるひとりの人間としてその人と接していけたらいいのにと思う。だけれども、この国で、相手をできるだけ不快な思いにさせないためには、相手が日本について心の深いところでどのように感じているのかということに、ある程度敏感になっておくことも必要なことのように思える。ただ僕はそれを歴史問題という大きな言葉で語りたくはない。相手にとって本当に辛い記憶、言葉にしたくない記憶ほど、心の深いところに眠っていて、僕としてはそれを知らぬ間に刺激し、相手を傷つけるということを避けられればと意識するだけだ。日常生活の小さな一コマずつの連続のなかで、目の前の相手をどこまでも大切にしていけたらと思う。