マナンさん家での出来事

 先日、マナンさんという大学の先輩が僕たちを招いてホームパーティを開いてくださった。実際には僕はマナンさんにお会いしたことはなく、友人たちがせっかくなら僕も一緒にということで誘ってくれた。地下鉄に小一時間ほど乗って、駅に近い閑静な住宅街を少し歩いたところにマナンさんの住む集合住宅があった。

 

 デザイナーをしているマナンさんは、部屋がとてもお洒落だった。自然光が柔らかく差し込む部屋には、描きかけの絵画や、彫刻作品などが至るところに飾られたり、もちろん茶盤や茶托など中国らしいものも置かれていた。それらは乱雑に配置されているというわけではなく、むしろ観る人たちに安らぎすら覚えさせるようでもあった。部屋全体が僕たちを歓迎してくれているような気が僕はした。

 

 マナンさんは朝早くから僕たちのために食事を準備してくれていた。一品一品どれも手の込んだ料理で、良い香りが家のなかを満たしていた。マナンさんが料理を作っている間、僕たちはテーブルと飲み物(中国茶も、ワインも、コーヒーも揃った贅沢なラインナップだった)を準備する。

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(辛さを一切取り除いた香鍋や、鶏肉の蒸し焼き、レンコンのはさみ揚げ、シャケと卵の炒め物などなど。シャケはわざわざ菜市場にまで出かけて買ってきてくれたとのこと)

 

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 鮮やかに盛り付けられた健康的な味付けの料理や、部屋のインテリアなどを見ていると、マナンさんはとても生活を愛している人なのだと僕は思った。そういった繊細な中国人に出会うと僕はいつも内心何だか嬉しくなってしまうけど、この日はふとそこで感じてしまう嬉しさは自分の中のある種の偏見に基づいているような気がして、すごく反省した。正直に言うとそれは、日本の生活のほうが中国の生活よりも豊かであるという感覚である。

 

 もちろん経済学的な数字やデータから見ると僕のその感覚はある程度は事実なのかもしれない。でも、ひとりの人間の生活という観点にたった時、僕の感覚は正しくはなかっただろうと思う。市井のなかにいるたくさんの生活を愛する人たちのことを無視してしまっているのだから。

 

 中国には本当に色々な人がいる。日本にも色々な人がいると思うけれど、13億人以上の人口を抱えているこの国は、僕たちが思っている以上に「色々な」人がいるのだと思う。どこまでも底のない悪意に満ちた人もいれば、日本でもなかなか出会うことのできないくらいに心根の優しい繊細な人だっているのだろう。簡単な言葉を肌で理解することが、これほどに難しいことなんだということを日々感じる。でも、その言葉に今まで以上にリアルに近づけた気がして、心に残る1日だった。マナンさんのように日々の生活を大切にしている人に、愛している人に、僕は他ではなかなか出会ったことはない。

 

 なんだか論理の飛躍した話かもしれないけど、そんなことを感じたご飯会だった。もちろん言うまでもなく、ご飯とお酒が最高においしいパーティでした。

 

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(部屋に飾られていたマナンさんの作品)