胡同の帰り道

――北京での生活について、日常の雑感を書き記していきます。

信州横断の旅(2日目)~諏訪大社上社、前宮~

 

 

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 旅行二日目。朝早い時間に起きて、蔵のラウンジでみんなと少しだけ談笑をする。アメリカ人の彼と何人かの常連さんがスキーに行くということで、彼らが出発するのを見送ってから、僕もバックパックを背負って蔵を離れて駅へと向かう。

 

 この日の目的地は、諏訪湖と諏訪大社。かつて縄文時代が栄えた諏訪のこの一帯の地域を一度見ておきたいとかねてから思っていた。縄文時代について、ぼくは専門的なことはよく分からないけれど、何千年と言う単位で文明が存続したこと、それらが高い精神的文化性を持っていたということ、海や大地と共存するように送られてきた縄文人たちの暮らしなど、深くひきつけられるテーマが縄文時代にはいくつもあった。実際に足を運んでその土地の空気感を肌で感じてみたかったのだった。

 

 蔵の近くのコンビにでサンドイッチとカフェラテを購入し須坂駅へと向かう。私鉄で長野駅まで行き、そこからJRに乗換えをし、宿の取っている下諏訪駅まで向かう。途中の待ち合わせなどを含め全部で三時間ほどの移動になる。須坂駅のホームには隣町に出かける婦人や、参考書に目を通す高校生(二月初旬に休みなのは気楽な大学生くらいだった)、やけに身軽な格好をしたおじさんなど、老若男女様々な人がいた。そんな中ぼくは静かに電車を待ちながら朝ごはんを食べる。

 

 

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(JR長野駅の改札口)

 

JR長野駅から下諏訪に向かうまでの道のりは、山という山をひたすらに越え続けるというものだった。姨捨山で有名な姨捨駅も途中で通過した。

 

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(どこで撮ったものなのか、忘れてしまった一枚。)

 

 のんびりと電車にゆられながら、お昼過ぎに下諏訪駅に到着した。

 

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 大きなしめ縄に巨大な木が寝かされていたりと縄文を感じさせるものがいきなりホームに置かれていた。

 

 

地図と現在地を照らし合わせながら大通りや裏路地などを抜け、宿に着いたのは1時を過ぎたころだった。「お昼ごはんはもう食べたんかい?」と宿主であろうおじさんが声をかけてくれた。「まだ食べてないです、先に荷物を預けようと思って」と僕が伝えると、「田舎のご飯屋さんは閉まるのが早いから、もう開いてないかもしらへんなあ」と時計を見ながらおじさんが言った。

 バックパックをあずけてすぐに、宿に来る途中にあった小さなカフェに向かうことにした。

 入り口からは小さく見えたカフェが、なかに入ると思っていたよりも大きかったことに気がつく。入り口をくぐると大きなホールが見えた。ホールの奥のほうにはアンプやドラムセットがのせられたライブステージと客席が広がっていて、手前側にはバーカウンターが拵えられていた。客は僕のほかには誰もおらず、やっぱりこのあたりの人はお昼ご飯を食べる時間が早いのだろうかと僕は思った。カウンター席に僕が座るとマスターがキッチンの奥から出てきた。日替わりメニューの鮭のクリームパスタを注文した。サラダとドリンクがついて700円か800円くらいだった気がする。

 お店のマスターはとても気さくな人で、音楽の趣味も似ていて、僕たちはしばし雑談をした。90年代の音楽の話、中国での生活の話、下諏訪にある様々なお店の話。最後にはマスターは小さな地図を取り出して簡単な観光案内もしてくれた。

 事前にきちんと調べていなかった僕が悪いのだけれど、どうやら諏訪大社を一日ですべて回ることは難しいらしいということにその時になって初めて知った。もともとはレンタサイクルで諏訪湖周辺を回れたらと思っていたが、まだ道に雪が残っていることと、レンタサイクルのお店のいくつかの規定もあり、そうすることは諦め、その日はまず上諏訪にある諏訪大社上社と前宮に行くことにした。

 

 店を出る前に、近々お店でライブをする予定はありませんか、と聞いてみたが、僕が滞在している間にはライブの予定はないとのことだった。残念だなと思いつつ、礼を言って僕は店を出た。

 

 電車に乗って諏訪湖を迂回するようにして上諏訪駅まで向かった。ちなみにここの線が中央線だと知って、これをずっと東に行くと八王子や新宿に到着するということが不思議だった。

 

 

 上諏訪駅からバスに乗って諏訪大社上社へと向かった。

 

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 山の麓にひっそりと佇んでいる、という印象だった。ぼくが訪れたのは冬の季節になるが、春や夏に来ると緑がもっと生い茂って生命力溢れる印象を受けることになるのかもしれない。もちろん雪にふんわりと覆われた本殿も、とても風情のある情景だった。

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 宝物殿などを見学してから(ここでは祭事の際にもちいる様々な神具をはじめ、近くの和田峠で採掘できる黒曜石なども展示されていた。)国道沿いを歩いて前宮まで向かう。

 

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 町の景色を広く見渡せる位置にきたとき、山が町を覗き込むようにして(或いは抱きかかえるようにして)そこに聳え立っているのが印象的だった。

 

 前宮は、上社とは打って変わって、とても素朴でより原始的な状態で山の麓に存在しているような気がした。国道を離れ、神社のなかに入っていくと、静けさがあたりを包み、山から流れる清流の音が時々聞こえてきた。

 

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 ずいぶんと歩き、わりと長い階段をのぼってきたのもあって、大樹に覆われた本殿の前でぼうっと休憩をしていると、やがて夕暮れ時刻へと差し掛かってきた。

 

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 それ自身に宿る何かがあるのか、時間的なことも関係しているのか、それともただの僕の思い込みなのかは分からないが、御柱を眺めたとき、何かしらそこに凄みのようなものを感じずにはいられなかった。そして真っ先に頭のなかで連想されたのは、去年の夏に訪れた、三内丸山遺跡のやぐらだった。いくつかの縄文集落に共通する「巨木信仰」、当時の縄文人もそれぞれ遠くに点在する集落を行き来しては、お互いを繋ぐシンボルとして、これらを高く掲げ、見上げては何か連帯感のようなものを感じたのだろうか。

 御柱を見上げたとき、前日の岩松院でも同じように北斎の天井画を「見上げた」記憶が、ふとよみがえってきた。もちろん、三内丸山遺跡でも、その大きなやぐらを僕は感嘆の念を持って「見上げた」。高いものを見上げるとき、そこに畏敬の念のようなものが伴うことは、何となく想像はできる。けれども、と僕は思う。本当のところ、その順番はどっちが先なのだろうか。そこに神が宿るから、僕たちは高きを見上げるのか、僕らが高きを見上げたとき、そこに神が宿るのか。縄文の人たちは、北斎は、その時何を考え、感じていたのだろう。

 

 

 前宮から再びバスの発車地点である上社まで戻る。循環バスは様々なバスストップにとまりながら、ゆっくりと諏訪湖へと戻っていった。

 

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(上諏訪駅には足湯が設けられていた)

 

 下諏訪駅に戻ってきたのは夜の七時過ぎだった。お昼のカフェのマスターからもらった観光マップをもとに、地元のとんかつ屋さんに行くことに。

 

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 この日も量がたっぷりのメニューだったが、一日中歩き回ってお腹がすっかり減っていたのでちょうどよかった。卵とじのかつどんに、コシのあるお蕎麦(信州のお蕎麦は本当においしい)、冷奴にお漬物もあって、ちょうど千円だった。お店は地元の人たちの酒盛りでにぎわっていて、人のよさそうな年配の女性の店員さんとその旦那さんの二人で切り盛りしているようだった。ゆっくりとご飯を食べて宿に戻る。

 

 この日もずいぶんと長い一日だった。その日の朝まで蔵にいたことが俄かには信じられないくらいだった。部屋のテレビを何の気なしにつけるとカーペンターズのドキュメンタリー番組が流れていた。諏訪湖とカーペンターズという、なんだか奇妙な組み合わせだったけれど、それをBGMにしながら僕は布団のなかに潜った。その日出会った、或いはすれ違った人たちのことを、頭のなかで思い出せるだけ思い出してみた。そんなことをしていると、それぞれにそれぞれの生活があるのだという至極当たり前のことが何だかとてもかけがえのないことのように思われてきた。やがて強い眠気が近づいてくるのが感じられたので、テレビの電気を消して、真っ暗な部屋のなか、僕は眠りにおちていった。