胡同の帰り道

――北京での生活について、日常の雑感を書き記していきます。

山西省一泊二日の旅ーー平遥古城と双林寺

 先月の話になるけれど、山西省中部にある平遥古城と双林寺にまで足を運んできた。どちらも世界遺産に登録されていて、最近では北京からも高速鉄道が通るようになり、小旅行にはとても適したところだった。余談になるけど、山西省は縦に長い省で、上から晋北、晋中、晋南と分けるようで、区分の仕方が長野県のそれと似ているとふと思った(長野には他に東信というのもあるが)。

 

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 平遥古城は少し変わった歴史を持った土地だった。土地の利をいかして、特に清代には為替行で大きく栄えたのだけど、民国に変わり制度の改革のなかでおのずと町も衰退してしまい、ついには建物を改築することもできないくらいに貧しくなってしまった。しかしそれが故に明朝や清代、またはそれ以前の古い建築が見られるということで今では観光地として再び栄えるようになったという、なんだか数奇な歴史を持った城郭都市だった。

 

 

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(お昼ごはんに食べたカオラオラオ(栲栳栳)。蜂の巣のような形をした主食の面。この地域の特産らしい。)

 

 

 中国で初めての私人銀行が成立した場所ということで、その跡地を観光地として使っている「日升昌票号」というところに足を運んだ。ここでは地元の観光学部に通う大学生が実習として無料で案内をしてくれた。学生が教えてくれたことによると、実際にお金のやり取りをする際の本人確認として、詩の上の句と下の句をそれぞれ照らし合わせて確認をしたり、また商売の状態を表すのに雨を比喩として語ったりしたそうだった。金融業ではあるけれど商売の随所に文学的なやりとりが見られることは、文を重んじる中国らしいものだと思った。

 

 

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 ちなみに、近くには用心棒博物館というようなところもあった。どうして用心棒なのだろうと思ってふらっと中に入ってみると、金融業が発達したことにともなって、それを守るために用心棒業も同じようにとても発達したからだという。風が吹けば桶屋が儲けるみたいな話で何だか面白かった。

 

 

  地方の町だけれど、城郭の中にはレコードショップがあったり、おしゃれなカフェがあったりもした。レコードショップは四畳半ほどの小さなスペースだった。30代後半くらいの店主が自分で集めたというレコードやらCDやら本やらがそこにはびっしりと積まれていた。ここに広がる景色と歴史的な町並みが並ぶ外の景色と比べると、なんだかそこには時空を隔絶するようなものさえ感じられた。ここにはこの男の心のなかの宇宙が広がっているのだと僕は思った。

 

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「レコード、売れるの?」と率直に聞いてみたら、1日1枚売れれば良いほうだよと少し笑いながら店主は答えてくれた。それからしばらく雑談をしていると、カメラの機材を持った学生たちがぞろぞろとお店にやってきた。聞いてみると彼らは地元の映画学校に通う学生たちのようで、このお店のドキュメンタリー映画を撮っているのだと言った。ここのお店のマスターはとても変わった人だからね、と学生の一人が言った。

「北京から来た日本人なんだよ、こいつ」と店主が言うと、学生たちが俄かに盛り上がり始めた。先ほどの観光学部の学生もそうだったけれど、この地域の人たちは日本人と会ったことがない人(言葉を交わしたことがない人)がまだ結構いるみたいだった。

「せっかくだから記念に君もドキュメンタリー映画に出ないか?」と学生がオファーしてくれた。特に話せることは何もないけれど言ったものの、学生たちのインタビューが始まったのでいくつかの質問に僕も適当に思いついたことを話した。撮り終わって学生たちは満足そうにしながら、店主と一緒に次の撮影地へと消えていった。

 

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(店主と学生たち。この写真を見ると何だか笑ってしまう。)

 

 

 夜は古くからの四合院を宿として提供しているところに一泊した。先週までの連休のピークが過ぎたこともあり、その日は僕以外には数人の客しかおらず、宿の部屋はどちらかというとガラガラに空いていた。そのおかげで僕は空いている中で一番グレードの高い部屋を使わせてもらうことになった。お礼を告げてから部屋へと行き、しばらく荷物を整理したり、歩きつかれた身体を休めてから、ラウンジに戻ると宿主のおじいさんがひとりで新聞を読んでいた。

 

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(宿泊した宿。)

 

 おじいさんと雑談していると、いくつか面白いことに気がついた。ひとつは、僕が質問をする度におじさんが「俺たち平遥人は」という主語を多用していたことだった。山西人ではなく平遥人と答えるのは、四方を壁に囲まれた町のなかだけに、帰属意識が高まるからなのだろうか。

 もうひとつは、方言の話になったとき(おじさんは山西訛りの入った中国語を話した)、おじいさんが西安(中国語ではシーアンと発音する)のことを日本語と同じく「セイアン」と発音したことだった。僕がそのことをに伝えると、おじいさんがとても嬉しそうな表情をしていたのが印象的だった。(後日、この話を西安出身の友達に話すと、唐の時代などの日中交流のなかで陝西省や山西省の地域の言葉が、日本人に伝わったのではないか。実際に、西安の方言は日本語の響きに似ているという人もいるらしい、という仮説を話してくれた)

 それから宿主がおもむろにテレビをつけた。何の番組を見るのだろうと思うと、抗日戦争のドラマだったので僕は思わず笑ってしまった。これはこれ、それはそれなんだなと僕は思った。

 

 ユニークな宿主のところで一泊をし、翌朝も軽く古城内を観光してから、近くにある双林寺に足を運んだ。双林寺のほうには人がほとんどおらず、小雨も降っていたのでとにかく静かだった。記録では1400年前には建てられていたということで、色々な時代の仏像がおさめられていた。ちなみに僕の他にどこかの美術学校の学生たちが来ていて、みんな熱心に仏像やら風景やらを黙々と上手にスケッチしていた。悠久の歴史の流れをぼうっと思いながら、静かな時間が過ぎていった。

 

 

 

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 授業の合間の週末に少しゆっくりしようと思ってきた小旅行だったけれど、振り返ってみると色々な人との交流があった旅路だった。それぞれの人が、それぞれの場所で、今も元気に生活していることを願う。