美しさは普遍的であるということ――盧溝橋と抗日戦争記念館

 

 五月のある晴れた日の午後に友人と北京の中心街から少し離れたところにある抗日戦争記念館を訪れた。この記念館の隣には日中戦争開戦の発端となった「盧溝橋事件」の盧溝橋がある。特に意識していたわけではなかったけれど、今年は1937年の日中戦争開戦からちょうど80年目にあたるのだった。

 

 まず最初に盧溝橋へと僕たちは向かった。今年の春は空気の良い日が続いていて、平日の午後で人もまばらで、静かで穏やかな光景が盧溝橋には広がっていた。

 

f:id:tnkt41:20170523133246j:plain

 

f:id:tnkt41:20170523133015j:plain

 

 

 初めて訪れることもあり、日中戦争を思わせるものが各所にあるのだろうかというぼんやりとした予測を持って向かったけれど、それは杞憂だった。それよりも盧溝橋自体の歴史や特徴――マルコポーロが大絶賛したことから英語ではMarco Polo Bridgeと呼ぶことや、康熙帝の時代に改築されたこと、橋の両端に並ぶ獅子の像のデザインがすべて異なっていることなど――が主に記されていたことが印象的だった。

 

f:id:tnkt41:20170523132342j:plain

 

f:id:tnkt41:20170523132956j:plain

 

 

 

f:id:tnkt41:20170523133445j:plain

 

f:id:tnkt41:20170523132518j:plain

 

「盧溝橋の獅子(卢沟桥的狮子)」という言い回しが北京語のなかにあってそれは「数えられないもの」を意味するらしい。上記のように獅子像はひとつずつデザインが異なっている。近づいて眺めるとそれぞれにストーリーがあるように思われるし、引いて眺めてみると全体的に威厳が漂うようにも感じられた。そんなことを考えているとき、子どもたちが大きな声でひとつずつ橋の上の獅子を数えながら、澄んだ空気の青空の下僕たちの側を笑って駆け抜けていった。何の脈絡もないけれど、何故だかその瞬間「美しさは普遍的なんだ」と僕は思った。そんな「橋」が80年前に爆破され崩れたということは、何だかひどく象徴的なことのように感じられた。

 

 

f:id:tnkt41:20170523221218j:plain

(入場チケットにも、戦争の歴史は末尾に少し触れられているだけだった。)

 

 

 それから僕たちは記念館へと向かった。記念館は城壁のなかに作られていて、ここに小さなスーパー(ほとんど売店のようなものだったけれど)や学校があったりと、今でも多くの人が生活を営んでいるようだった。戦争記念館が目の前にある一方で、この町に流れる時間はとてもゆったりとしていて、何だか自分がどこか噛み合わせのしっくりこない空間に紛れ込んだような気持ちに思わずなってしまった。

 

f:id:tnkt41:20170523140411j:plain

 

f:id:tnkt41:20170523141102j:plain

 

 そのまましばらく道を進んでいくと記念館が見えてきた。

 

f:id:tnkt41:20170523141947j:plain

 

 記念館の面積はかなり大きく、全部をゆっくりみて回ろうと思うと少なくとも2時間以上はかかるだろうという規模だった。

 展示を観ての率直な印象は、史実に基づいて客観的に展示がされているということだった。もちろんその「史実」には様々な議論があることも事実で、中国の東北や南京での戦闘に関しての展示は、客観的というよりはセンセーショナルと言ったほうが正しいと思う。しかし、全体のなかでそれらを取り扱った部分は十分の一程度ではないだろうか。それは決して高い比重を占めているとは言えないと思う。そして今年(2017年)が日中戦争開戦から80周年であることも記念館のどこにも触れられてはいなかった。

 

 展示は近代の始まりから日中戦争にいたるまで、中国各地でどのような戦闘や侵略行為があったのか、当時の資料や実際に用いられた武器や道具などを展示しながら主に解説がなされていた。大学には中国各地からの友人がいるので、僕としてはそれらの資料は友人たちとの信頼関係を築いていく上でとても大切な情報だった。

 

f:id:tnkt41:20170523142909j:plain

 

f:id:tnkt41:20170523154710j:plain

 

 

 その他に印象的だった展示のひとつが、戦争降伏時の日本に関する資料だった。

 

f:id:tnkt41:20170523155456j:plain

日の丸の上に記された日本兵たちの日記。

 

f:id:tnkt41:20170523160241j:plain

 

 1945年8月16日のこの朝日新聞一面の展示は個人的にはとても衝撃的だった。この日の一面には「日本」という言葉はどこにも書かれておらず「神州」という言葉が依然として使われていた。ポツダム宣言受諾を受けての論説(上の写真)には未だに、この困難を乗り越えた先に大和民族の復興があり、アジアの解放が達成されるという主旨のことが書かれていた。

 1945年8月16日は「戦後」ではなかったんだと僕はこのときになって初めて気がつかされた思いがした。もちろん考えてみれば至極当たり前のことなのだけど、緩やかな段階的変化を通じて、「戦前」は「戦後」へと変質していく。しかしそれらの言葉自体に一種の恣意性が宿っていることは忘れてはいけないと思う。「戦前」と「戦後」、そこにはあたかも歴史の転換(断絶)があるように見えるけれど、実際には確かな連続性が存在していることを、この日の新聞はどこか皮肉的に語っているように思われた。

 

 記念館の最後には、歴史を教訓としてよりより未来を築いていくというメッセージが込められた展示がなされていて、記念館の入り口のフロアへと戻っていく。

 もちろん、政治的な意図が見える展示や、議論の余地を残す展示が一部あることも事実だ。それでも、繰り返しになるが、全体的には客観的に構成された展示であったという印象が僕のなかには強く残った。そのことが言内外に発しているメッセージは少なくないだろうという気がする。

   様々印象に残ることの多かった盧溝橋と記念館訪問だった。この夏には、ソウルの歴史博物館と広島の平和記念館を訪れる予定で、三カ国のそれぞれの記憶の見つめ方を確認しに行ければと思う。