じゅんさいと鉄砲玉――青海省、チベット旅行記

 

 6月の終りから7月の上旬まで中国西北部に旅行にでかけた。目的地は西寧とチベット、いくつかの印象的な出会いがあったので、備忘録として残しておこうと思う。

 

 西寧では列車に乗ってチャカ塩湖まで出かけた。この列車は最近開通したばかりで、青海湖を迂回しながら抜けていき、塩湖まで到着するというものだった。日帰りで塩湖を訪れたいと思っていた僕たちのような旅行客にはちょうど便利な路線だった。

 

 塩湖に向かう列車のなかで漢族の親子と相席になった。息子が高校の統一入試を受けるために戸籍のある青海省まで戻ってきたのだ、とお母さんが話していた。普段は河南省で自営業をしているらしい。とても気さくで人あたりの良い親子で、リュックから果物やらひまわりの種やらチップスやらたくさん取り出しては僕たちに分けてくれた。

 目的地に着くまでの4時間、その親子たちとほとんどずっと話していた。塩湖に着いてからも、僕たちに食事をご馳走してくれて、そのまま一緒に観光もした。帰りの列車も同じ席に座った。

 

 

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 西寧はその地理的条件もあいまって、チベット族だけでなくイスラム系の少数民族やモンゴル族も住んでいて、複数の文化の融合地点になっているのがとても興味深かった。僕がそのことを伝えると、お母さんの表情が少しだけ曇った。それから彼女が、政府の少数民族に対するアファーマティブアクションについての話、というか不満をもらした。少数民族の学生たちは大学の統一テストで加点されること、チベット族の人が故郷に帰省するときは交通費が支給されることなど、自営業でこれから大学受験を控える彼女にとっては尚更それは簡単には納得したくないことなのだろうと話を聞きながら僕は思った。

 

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 翌朝、今度は宿泊していたドミトリーでたまたまチベット族の大学を卒業したばかりの青年と出会った。とても物腰の柔らかな話しやすい子で、せっかくの機会だからと午後の列車の時間まで一緒に近くを観光しないかと誘ってみた。一緒に西寧のなかにあるイスラムのモスクや通りを回りながら、彼とも様々雑談をした。

「僕がもし日本に行こうとするならば、それはとても難しいことなんだ」と青年は言った。「まず政府がパスポートを発行してくれないからね。今の僕にとって現実的な選択肢をあげるならば、国費留学生として日本に行くしかないんだ」

 

 勉強不足で申し訳なかったけれど、一部の少数民族にはパスポートが発行されないことを僕はそのときまで知らなかった。漢族の人たちに僕たちの文化や考え方を理解してもらうことは本当に難しい、と彼が繰り返し話していたのが印象的だった。

 ちょうど僕たちがラサに滞在しているときに彼も帰ってくるということで、もし時間が取れればぜひ再会しようと約束をした。僕たちはツアー観光で行動することになるので、実際にまた再会できるかどうかはその時点では保証することができなかった。

 

 

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 青臓鉄道の列車内、2週間前から高山病対策の薬を飲んでいたものの、列車が高度4千メートルを越えていくタイミングで、高山病の症状が出てしまった。ラサに到着後に症状はさらに悪化、ホテルに着いてすぐに解熱剤を服用し、医者が来て点滴も打った。意識がかなり朦朧としていて、声もうまく出すことができなくなってしまい、到着日と翌日のツアー旅程はすべてキャンセルせざるを得なくなってしまった。

 

 友人たちに助けられながら、何とか牛歩のようになら歩けるまでに回復したころ、西寧で出会った彼がお見舞いにわざわざホテルまで来てくれた。友人から僕が寝込んでいることを聞いてやってきてくれたらしい。ゆっくりと、かすれた声でしか話すことができないけれど、それでももしよかったら近くで一緒に食事をしようと誘いふたりで近くの小さなご飯屋さんでお昼を食べた。

 

 友人がチベット語で水餃子とラーメンのようなものを頼んでくれた。どちらもヤク肉が使われていて、ラーメンの出汁もヤクの骨でとったものだと教えてくれた。

 

 

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 チベットは食事だけでなく、宗教用具も、他の生活用品も、基本的には地産地消になっているようだった(列車の窓から見た草原にはたくさんのヤクが放牧されていた)。その景色を見ながら、そして今の友人の話を聞いて、数年前に訪れた日本の岩手にある野田村という小さな村を僕は思い出した。とても原始的な暮らしを営む村で、「自然のなかに人々の生活が溶け込んでいる」という点において、チベットと同じ価値観を共有しているように直感的に思ったのだった。

 

 そのことを友人に伝えると、彼の両目が輝き始めた。そしてスマートフォンを取り出して、きれいに整列したチベット語を見せてくれた。それは彼が翻訳した岩手出身の作家・宮沢賢治の『永訣の朝』のチベット語版だった。

 

 

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 宮沢賢治は僕の最も尊敬する詩人であり作家のひとりだと伝えると、友人がチベット文化と宮沢賢治の文学の共通点をいくつか話してくれた。宇宙への憧憬、石へのこだわり、雪の描写の多さなど。以前、宮沢賢治のご子息をインタビューした先輩から「賢治さんはずっと縄文人になりたがっていた」という話を聞いたことがある。そのことを思い出して、僕の中でチベットと日本文化が確かに繋がったのを感じた。遠く離れたこの二つの地には深いところで同じ感性が脈打っている。

 

 

けふのうちにとほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)……

 


 
      ――『永訣の朝』、宮沢賢治

 

 

 僕もスマートフォンで詩を調べて、最初の何行かを日本語で声に出して朗読した。彼は目をつむりながらそれに耳を傾けていた。

 見せてもらった彼のスマホの画面には、黄色い帯線が引かれていた。訊ねるとそれはチベット語にはない単語だから注釈をつけた、ということだった。日本語で対応する部分を教えてもらうとそれは「蓴菜(じゅんさい)」と「鉄砲玉」だった。じゅんさいという言葉がないのは理解できたが、鉄砲玉という単語がチベット語には存在しないと知って、とても驚いた。ほんとうに平和を愛する民族なのだろうと僕は思った。

 

 

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 ラサはとてもゆったりとした町で、僕はそのペースがとても気に入った。店に入ればのんびりとチャイを飲んで談笑している人がたくさんいるし、お金にもずいぶんと緩い人が多い気がした(何度かお会計で細かいお金をサービスしてもらった)。そして何より道行く人と目があえばにっこりと微笑んでくれる人が多かった。普段都市で生活していると、余計にそんな小さな優しさに感動してしまったりする。

 

 もちろん、武装した警察が多いのも確かだった。けれども僕にとってそれは随分とチグハグな話のように思えて仕方なかった。のんびりとしたこの町でその銃口はいったい誰に向けられるのだろう。その「鉄砲玉」はいったい誰に放たれるのだろう。その暴力が行使されないために、僕には何ができるのだろう。

 

「漢族の人たちに僕たちの文化や考え方を理解してもらうことは本当に難しい」と彼は話していた。もしも、チベット文化と日本文化を貫く連続性が存在するのだとすれば、中国と日本が文化的に理解しあうことがチベット問題に間接的にでも齎すものはきっとあるだろう。それは途方のない、遠回りのように見える作業なのかもしれない。それでも自分にできることからきちんとやり抜いていきたいと僕は強く思った。

 

 チベットから北京に帰ってきて、この旅行が自分のなかでの何かの転換点になったという感覚が強く残った。そして何より、日本から遠く離れた地で、偶然の縁に導かれて、同じ詩人を愛する友人に出会えたことを、心から嬉しく思った。

 

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