船旅、戦争記念館、繋がりーー韓国旅行一日目・ソウル

 

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(承前)

 

 大連港から船に乗って仁川港へと向かう。


 出航の2時間前に受付けをし、17時に出発、翌朝の現地時間八時に到着予定。船には食堂室とシャワーも併設されていて、次の日も午前から観光できるとあって、のんびり旅行をしたい人にとっては悪くはない移動手段のような気がした。

 

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 船が出航して少し経つと夕暮れ時間に差し掛かってきたので、荷物を簡単にまとめてから、外に出てみることにした。360度まわりに何も建造物がないので、船から空を眺めていると光の繊細な変化や雲の動きなどがとても敏感に感じ取れることに僕は気がついた。時々、何かにとりつかれたように海や港の景色を描き続ける画家がいるけれど、彼らの気持ちが初めて少しだけ分かったような気がした。

 

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 僕が取ったチケットは一番下のクラスで、10枚の布団が5枚×2列でびっしりと敷かれたスペースに8人で雑魚寝するというものだった(本当は十人分に用意されたスペースだけれど、埋まることはないだろうと思われる)。漁師のようなライフスタイルだと思って少しわくわくしたけれど、考えてみれば漁師に会ったことはこれまでに一度もなかった。

 

 乗客には(恐らく)日本人は僕しかいなかった。漢族の人にも僕は会わなかった。それでは誰がいたのかというと、中国少数民族の朝鮮族の方たちがたくさん乗っていた。僕のコンパートメントの僕以外の人たちはみんな朝鮮族の方で、マンダリンと方言が混じったような中国語を話していた。隣の布団で寝ていた朝鮮族の親子と少し仲良くなり、父親と雑談したり、子どもと一緒に遊んだりして時間を過ごした。

 

 

「どうしてわざわざ船に乗って韓国まで行こうと思ったのですか」と父親に訊いてみた。
「急ぐ理由はどこにもないじゃないか」と父親は言った。「急用があるときは飛行機に乗るけどね、それ以外は船でゆっくり行くのが良いもんさ」

 


 船酔いをしないか心配だったけれど、それは杞憂だった。横になり目をつむると波の上に自分が浮んでいるような浮遊感がむしろ心地よいくらいだった。Mr.Childrenの『深海』を聞きながらその夜は眠った。


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 翌朝、予定よりも30分遅れて仁川港に到着した。タクシーに乗って仁川駅に向かいそこからソウル市中心部へと向かった。

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(仁川駅の正面には中華街があった、中国から出てきたばかりなので何だか笑ってしまった)

 

 最初の目的地は三角地駅の近くにある戦争記念館。先に近くの路地のなかにあった地元のご飯屋さんに入り、ボッサム(茹でた豚肉を野菜で包んで食べる)という料理を食べた。外から店をのぞくと地元の人がたくさんいたので入ってみたけれど、果たしてこれがとてもおいしかった。値段も8000ウォンくらいだった気がする。

  

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 戦争記念館の近くには韓国の国防部があったりと少し気が重たくなるエリアだったが、中に入ってみると意外なことに気がついた。

 それは展示が先史時代の集落と集落の争いの紹介から始まっているということ、見方を変えればそれは韓国の歴史を戦争という角度から捉えなおした展示がなされていたということだった。韓国の歴史を俯瞰してみると、ほとんど争いは中国に対してか、王朝が分裂して発生した内戦か、北から攻め入ってくる騎馬遊牧民たちとの争いなのだった。日本が出てくるのは、白村江の戦いと朝鮮出兵、そして日清戦争、日露戦争だった。日清戦争は韓半島が舞台になったからだろう。そして日露戦争時は韓国はすでに日本に併合され植民地下にあったからだろう。

 

 

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(日清戦争の各国主要リーダーたち)

 

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(日露戦争に関するフランスの新聞記事)

 

 

 もちろん近代以降、日本が韓国に対して行ってきたことが相対化されるわけではないけれど、長い目で歴史を俯瞰したとき、それらが本当に極めて最近の出来事であることに改めて気がつかされた思いがした。あえて記念館についてほとんど何の情報も入れずに来たので、これは本当に意外な発見だった。

 

 朝鮮通信使の交流、また飛鳥時代の奈良の成立の歴史に百済が大きく寄与していること、もっと遡れば釜山などの港町のあたりでは縄文・弥生時代からの交易品なども発掘されたりしている。 

 韓国にしても中国にしても、近代以降に日本がふるった大きな暴力が現代に至るまで影響を与え続け、打ちつけられた楔のように国と国とを縛りつけあっているように感じることがある。けれども、そんな暴力での繋がりよりも、もっと深いところで同じ地下水脈を有するようにこの三つの国には文化の繋がりがあると展示を見ていて改めて思った。

 

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 戦争記念館と近くの国立中央博物館を見学してから、ドミトリーへと移動する。晩ご飯は近くのご飯屋さんにてサムゲタンという薬膳料理を食べた。さっぱりした味で、鶏肉のなかにご飯が入っていたりと、食感も楽しめる美味しい料理だった。ちなみに、中国でも感じることなのだが、韓国もそれに劣らずご飯屋さんが本当に多い。

 

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 ドミトリーでふと一日のことを振り返っていると、ソウルは北京や東京という街に比べて、親切な人が多いような気がした。というのも、日中に僕が困って街で何度か立ち往生していると、その度に声をかけてくれて手伝ってくれた人たちがいたのだった。もちろん個人的な印象で何の統計にも基づいた観察ではいないけれど、名前も知らない人々の親切さに感謝しながら、その日も底の深い眠りに落ちた。