再会と別れ、ナムジュン・パイクとチンギス・ハーン――韓国旅行二日目~三日目

 

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 (承前)

 

 韓国旅行二日目の予定は大学時代の友人と再会し、一日かけてソウル市内の様々なスポットを一緒に回ることになっている。

 午前にソウル駅にて集合した。韓国併合時代に竣工された赤レンガの駅舎はたしかに東京駅のそれを思い起こさせた。海を越えた先に僕たちの記憶に深く根付いている意匠があるというのは、率直に不思議な感覚でもあり、また複雑でもある。

 

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 友人とは二年前に東京で会って以来の再会になる。彼が車で迎えに来てくれたのを見て、ああここが彼のホームなんだという当たり前のことをしみじみと感じてしまった。そして自分だけが何だか大学時代から何も変わっていないような気がして少し可笑しく思った。電車と船に乗ってここまで来たよ、と友人に伝えると彼も笑っていた。


 お昼に近い時間だったので、地元の市場に行って一緒に食べ歩くことにした。屋台の並んでいる通りはとても賑わっていたけれど、一本隣の衣服を売る通りは対照的に閑散としていた。

 

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 屋台ではキンパやトッポギから豚の腸にもち米をつめた料理など様々食べた。もち米の料理を食べているとき、僕たちが中国語で話をしていると、屋台のおばちゃんが話に加わってきた。聞くと、小さい頃は瀋陽で育ったらしい。恐らく朝鮮族なのだろうと彼があとで言っていた。初めて韓国に来たことを伝えると、おばちゃんは僕たちにおでんをサービスしてくれた。


 市場でお土産を買ってから、近くを少し散歩した(一風変わったお店や、やたらとレトロなお店などたくさんあった)。

 

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 その後、景福宮とその敷地内にある国立民族博物館を訪れる。博物館の全身は「朝鮮民族美術館」といって、民芸運動で有名な柳宗悦もその設立に携わったとして知られている。

 景福宮に着いたとほとんど同時に、入り口の門で何か儀式が始まってので観に行くことにした。伝統衣装に身をつつんだ人たちが、隊列を保ちながら工程に沿って儀式をとりおこなっていた。衣装を見ているとふと東北のやぶさめの儀式を思い出した。弓を背負った衣装の人もいたからだろう、ふたつの儀式を民俗学的に追っていくと騎馬民族のルーツにたどり着くのかどうか少し気になった。

 

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 その日は他にも北岳山(プガッサン)のソウルの景色を一望できるスポットや夜の漢江など、本当に一日中友人にお世話になりっぱなしだった。くだらない冗談から真剣な話までたくさんしながら、調子がいいときでも悪いときでも飾らずに話ができる友人をもてたことを嬉しく思った。

 

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 次の再会はいつになるか分からないけれど、それまでお互いに元気にやっていこうと励ましあい別れを告げた。


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 翌朝は早起きして、ソウル郊外にあるナムジュンパイクアートセンターへと向かった。60年代以降の現代アートや、ヨーロッパとアジアの繋がり、そして何より韓国のことを知るうえで、ナムジュン・パイクは極めて重要な人物であると僕は思う。パイクさん自身はアメリカ国籍だけれど、彼の作品には韓国の文化的ルーツの探求というテーマが貫かれているように感じる。むしろディアスポラ的な生活を送っていたパイクさんだからこそ、そのテーマを強く探求していったとも言える。

 

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 アートセンターはパイクさんのキャリアを追体験できるような構成で展示がなされていた。東京大学で現代音楽を学び、ドイツにてフルクサス運動に加わり、そしてビデオアートに傾倒していくまでの過程が分かりやすく展示されていた。ただ展示数が思っていたよりもずっと少なかったことは少し残念ではあった。

 

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 展示を見ていて、作品に反映されるパイクさんの膨大な知識と哲学に圧倒させられた。

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 例えばこの「チンギス・ハーンのリハビリ」という作品も一見すると何を表しているのかよくわからない(そしてそれは分かりやすいもので溢れる現代へのアンチテーゼのようにも感じられた)。「情報について考えるにはまず馬に戻らなければならない」という趣旨のパイクさんの発言を以前に読んだことがあるが、その言葉を手がかりにして作品を見つめていると腑に落ちてくるものがある。

 デジタルメディアや各種交通が発達する以前の時代では、馬はもっとも速く情報を伝達するための手段のひとつだった。以来、科学が発達して生活には多くのものが溢れ一面では豊かになったように見えるけれど、もう一方で進化が退化を生んでいるという側面も否めない。後日訪れた福岡のアジア美術館でみた資料に「テクノロジーは幸せを運ぶためにある」というパイクさんの言葉が載っていた。僕たちが今生きる社会は本当に幸せの方向にむかって進んでいるのだろうか。自転車に乗ったチンギスハーンは今日もリハビリに励んでいる。


 その他にも、フラクサス運動にみられる価値の転換――無の発見、破壊から生まれる創造、無用の用など――からは禅の影響が見てとれるように、パイクさん自身も禅をはじめ仏教に深い造詣があったという。仏教思想はアジアを貫く重要な哲学であることを改めて認識した。


 映像作品では、有名な1984年1月1日に放映された「グッドモーニング・ミスターオーウェル」や、69年の作品である「The midium is the midium」というメディアの功罪を浮かび上がらせる作品などが流されていた。60年代にすでにこれほどにまで痛烈にテレビメディアの恣意性を指摘していたパイクさんの感性にも驚かされた。展示数が少ないといったけれど、感じることの多い美術館だった。

 

 美術館をあとにして、近くのお店で冷麺を食べ(この日もとにかく暑かった)、長距離バス乗り場に移動した。韓国旅行の最終目的地であるで昌原・釜山に向けて出発した。