赤と白の鳥居、三人の老人、グラデーションーー広島旅行、東アジア旅行最終日。


tnkt41.hatenablog.com

 

(承前)

 

 

 夏の旅行記事の続きを書こうと思って三ヶ月の時間が流れてしまった。忙しかったというのもあるけれど、そこで感じたことをどうしても言語化することができず、そのままずるずると今日まで来てしまった。


 プサンから船に乗って福岡に向かい、数日滞在してから(諸事情で大きく予定を変更することになってしまった。アジア美術館や元寇資料館などをおもに訪れる)、長距離バスに乗って広島へと向かった。初めての広島、目的地は厳島神社と平和記念公園だった。

 

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 厳島神社では宝物館(平家納経の複製が展示されている)を参観したのち、紅葉谷をのぼったところにある小さなお茶屋さんから鳥居と穏やかな瀬戸内の海を眺めた。古代の人々は、大陸と朝鮮半島から東シナ海や対馬海流の荒波を越えて、瀬戸内の穏やかな波に入ったとき、どれほどの安心感を覚えたことだろう。

 

 厳島神社には赤と白の鳥居がふたつ設けられていて、川瀬一馬の言うようにそれぞれの鳥居が国外の神と国内の神をあらわしているのだとしたら、地理的条件から鑑みてもそれは十分に筋の通った話だと思った。日本古来の文化と、大陸からもたらされた新しい文化が、古くからこの地で交じり合ってきたのかもしれない。神社に法華経が納められているのもそのことを象徴しているかのようだった。

 

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 少ししてからお茶屋さんに二人組みのイギリス人がやってきて、雑談をしたりカードゲームをしたりしてゆっくり過ごした。福岡では海外の旅行客はアジアの国々からが多かったけれど、広島では街中を見ていても欧米からの旅行客が多いように感じられ、興味深く思った。


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翌日の8月8日、旅の最終日は平和記念公園を訪れた。晴れた日の朝にドミトリーから路面電車に乗って目的地へと向かう。

 

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 原爆ドームは何十回、何百回とメディアを通して見たことがあるはずなのに、それでも現地でそれを目の当たりにしたときは、胸をえぐられるような感覚を覚えた。ドームのなかには今も爆撃当時の瓦礫がそのまま残っていて、それは爆撃後の紛争地域の映像を思い起こさせたし、また3.11直後の災害ボランティアで清掃した多くの瓦礫を思い起こさせた。痛みの記憶は時代と場所を超えてどこへでも繋がっていくことができるものなのだという気がした。

 

 

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 ドームを10分ほど見ただけで既にぐったりと疲れてしまったので近くのベンチに座ってぼうっと川を眺めた。隣には原爆ドームのほうを向いて談笑する3人の老人が腰掛けていた。聞こえてくる話に耳をすませると、ここの町並みが変わったとか、あそこの病院のあたりは戦前ではこういう場所だったとか、3人は広島での戦争経験者のようだった。身内たちのお墓参りに帰ってきていると話していた。あまりない機会なので声をかけてもう少し話を聞いてみようかと一瞬考えた。

 そのとき雀やら鳩やらの鳥が僕たちの座るベンチに飛んできた。ひとりのおじいさんがそれを見て思い出したように、戦後は本当に貧しくて雀を捕まえて食料にしたことが何度もあった、と話していた。あの頃には雀がたくさんいましたもんね、とおばあさんも言う。

 ほら見て、とおじいさんが声を大きくした。それにつられて僕も振り返ってみると、おじいさんが伸ばした腕や手の上に何匹もの雀が止まったり歩いたりしていた。その瞬間に見たおじいさんの瞳は、腕に留まる雀を見ているようでそれとは違う遠くの何かを眺めているような、そんな気がした。そう思った時、かけるべき言葉がどこにも見つからず、詳しく話を聞くことはやめにした。

 

 百聞は一見に如かずということをこれまでの旅行で何度も経験してきたけれど、広島の平和公園も僕にとってはそういう場所だった。記念館には欧米からの旅行客がたくさん来ていて、みんな真剣に証言VTRに耳を傾けていた。学ぶことはまだまだたくさんあるとふと思った。

 

 

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(8月7日、広島市内から見た満月。)


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 空路を使うことなく、陸と海だけで旅行を続けてみて感じることは多くあった。特に移動を続けるなかで、それぞれの地域に根ざしたそれぞれの暮らしが存在し、それがグラデーションのように連なっていることを強く感じた。東アジアのたった一角でもそうなのだから、僕たちの暮らす地球には、僕たちが想像することもできないほどの多様性が脈打っているのだろう。


 また、海流や川の流れというものが、対岸に位置する両者を引き離すのではなく、繋ぎ合わせるものであるということを体感的に知れたことは大きかった。接合面において、文化を共有し、またその土地の個性に応じてそれを昇華し、新たに発展させていくのだろう。そうして個々の多様性を保ちながらも、深いところで結び合っているものを共有しているのかもしれない。その調和の記憶を断絶させたのが戦争であるということも痛感した。そのことについてはまた記事を書きたいと思う。


 近くて遠いような中国大陸、朝鮮半島。自分にできるところから、その距離を縮められたらと強く思う。