ノモンハンへ行く――東北地方、内モンゴルの旅(1/2)

 

 ノモンハン、という言葉に初めて出会ったのは村上春樹の90年代の長編『ねじまき鳥クロニクル』を読んだときだった。80年代の世田谷に暮らす主人公は、ある日前触れもなく妻に家を出て行かれ、一方的な離婚をつきつけられる。妻はどうして出て行ってしまったのか、その真相を探るべく、主人公は次々と奇妙な人たちに出会い奇妙な出来事に巻き込まれながら、現実の世界と意識下の世界で妻を取り戻す戦いを繰り広げていく。

 この物語に登場する人々を結びつけるキーワードのひとつが1939年満蒙国境地帯で繰り広げられた日本・満州国軍とロシア・モンゴル軍の戦闘「ノモンハン事件」だった。歴史が時代の隔絶を超えて個人に与える、或いは国家の記憶が個人の記憶に及ぼす影響を物語の枠組みを通してメタフォリカルに描いたこの作品は、以降、村上春樹が社会へのコミットメントを示していくにあたってひとつの転換点として振り返られる。

 

 この小説を初めて読んだのはもう4,5年前のことになる。その時はどちらかと言えばこの小説の持つ無意識の取り扱い方について強い興味を持った。記憶を頼りに書くので間違いがあるかもしれないが、後に村上春樹と河合隼雄との対談のなかで、たしか河合隼雄が「『ねじ巻き鳥クロニクル』は過去の歴史も今起こっている現在形として書かれている」という趣旨の発言をしていた。歴史が現在形として起こっている、ということがどういうことなのかその時の僕にはよく分からなかった。作中ではノモンハン事件に直接的/間接的に関わった幾人かの人物が主人公と深い関係を持つようになる。その意味においては上の言葉はよく理解できる。でも、自分の生活を鑑みたとき、その言葉が意味することがうまく捉えられなかった。

 

 ようやく身体感覚をともなってその言葉が分かるようになったのは、留学生として日常的に中国人のクラスメートたちと学び始めるようになってからだった。日本人として中国で生活していると、どうしても何かの機会で歴史問題や戦争の記憶について触れなければいけないことが増えてしまう。殊に僕が近代中国にかかる分野の研究をしているのもあるかもしれない。講義中や友人との会話のなかでも、気まずさの有無は時と場合によるとしても、日中戦争(抗日戦争)が話題にあがることは少なくない。その時、友人たちの言葉尻や、或いは言語化されなかった言葉の気配のようなものから、そこに厳然と存在する戦争の記憶を強く感じることが多々あった。その瞬間、歴史というのはただじっと過去に存在するだけのものではなく、地続きのように現在へと接続しているものなどだということを知った。それは過去であるだけではなく、現在そして未来と何重にも締められた縄でしっかりと結び付けられていているのだ。僕は自分が生まれる前の世界で起きた出来事そのものに対する責任はないが、自分が生まれる前の世界で起きた出来事を知る責任はあると考える。過去を知らないということがそれだけで現在を生きる人を傷つけることがあり得るということを生活のなかで実感することがとても多くなったからだ。ノモンハンの暴力は形を変えて今を生きる私たちにも手を伸ばしてくることがたしかにあるのだ。

 

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 前置きが長くなってしまったけれど、4月の下旬に一週間ほどかけて吉林省長春と郊外の町、そして内モンゴル・フルンボイル市を訪れた。列車の窓外に見える山々とその間に広がる荒涼とした田畑を眺めていると、それが際限なくどこまでも広がっているのではないかという錯覚に陥りそうになる。その広大な土地を軍人はある時には大層な装備を担いで歩いたのだろうし、何よりもソ連軍の侵攻から逃避行するために数多くの満州に渡った開拓民たちがこの地と幾峰の山々を走りぬけたのだろうと思うと、胸がとても痛んだ。そしてそれだけの苦労をしてまで得た現実は、元々この地域に住んでいた人たちを虐げることでもあり、それらの一連の出来事を思うと、何と不毛なことなのだろうと虚しさに苛まれてしまう。

 

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 吉林では長春市内を主に観光し、途中で半日ほど郊外の蛟河という小さな町を訪れた。長春駅から街一番の繁華街である人民広場までは一本の直線で繋がっているのだけれど、ここの道沿いにも満州国時代の建造物はたくさん残っていた。その道を歩いていると、80年前に理想を抱いてこの街にやってきて、それぞれの仕事に打ち込んだ人たちの夢の残滓のようなものを感じずにはいられなかった。路地に入ると、改築はされているが瓦屋根の長屋のような家やあったりと、どこか懐かしさを感じる景色があったりもした。

 

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 観光地としてはかつて皇帝溥儀が住んでいた長春偽満皇宮博物院や、人民広場近くにある般若寺、あとは休憩がてらに入った公園に桜が咲いていたので花見をしたりした。街中にも桜の木が分散的に植えられていたのも印象的だった。花見をしてからホテルに戻る前に見た夜の人民広場はライトアップされていて、まさにこの街のハイライトという感が存分に表現されていた。かつての満州中央銀行は今もそのまま中国工商銀行が使っていて、満州首都警察所は今では長安市公安局になっていた。

 

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 蛟河という町を訪れることになったのは、一緒に旅行にでかけたパートナーの祖母が幼少期に開拓移民としてこの町に住んでいたことがあったからだった。祖母がこの町にどのような思いを抱いているのか、僕たちはそれを仔細に知ってはいないけれど、記録に残しておくという意味もかねて、この町の様子を見に行くことにした。蛟河は中国人でも地元の人くらいしか知らないような小さな町で、観光資源も近くに比較的紅葉の美しい山谷があるほかには、これといって人目を引くものも特にはなかった。

 

 長春から一時間ほど高速鉄道に乗って蛟河西駅に到着し、そこからバスに乗って市内へと向かった。バスは本数が少ないのもあるのか、国道と市道を交互に蛇行するように走りながら、ゆっくりと町の中心部に向かっているようだった。高速鉄道駅周辺の無計画に開発が進む景色や、町の郊外にある土埃の立つ村の景色を眺めていると、実際の距離以上に遠いところに来てしまったような感覚を抱いてしまった。しかし、約80年前にパートナーの祖母たちが確かにこの町で小さな暮らしを営んでいたという事実が、その距離感をいっきに埋めてしまう感覚も同時に強くあった。

 

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 バス終点の蛟河駅にて下車をして、僕たちは町の散策を始めた。といっても本当にこれと言って見るものが特にあるわけはないので、とりあえずは町の一番大きな広場を目指して歩くことにした。町がとにかく音で溢れていたのが記憶に残っている。町を走る車やバイクの音、遠くから聞こえてくる結婚式の爆竹音、町のスピーカーから流れる市のお知らせ、各商店の店口から繰り返される宣伝文句と四つ打ちのダンス・ミュージック。北京でももちろん同じような景色は存在するのだけど、それよりも断然騒がしい音が町全体を覆っているようだった。中国の地方の小さな町や村を訪れると、むき出しの生のようなものをいつもそこに感じる。

 

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 簡単にお昼を済ませてから、蛟河市博物館を訪れてみることにした。地図上では町から少し外れたところに位置していて、タクシーの運転手もこの町に博物館なんてあったかなと言いながら、そこまで連れて行ってくれた。しかし案の定、地図上で示された位置まで来てもそこに博物館らしきものはどこにもなく、おまけにそこでひろった相乗りの地元の人も博物館なんて聞いたことがないよと言っていたので、僕たちも諦めてもう一度町まで戻ることにした。

 

 町に戻るころには、昼前に降り始めた雨がいよいよ本降りへと変わってしまい、これ以上の散策をするのは難しいと判断して、一足早く長春へと戻ることに決めた。結果として、蛟河には本当にただ数時間滞在しただけということになってしまった。それでも何も得るものがなかったかと言われると、そういうわけでもない気がする。東北にはある意味において何百もの「蛟河」的な場所が存在していて、僕たちの祖父母の世代の方たちがたしかにそこに住んでいたのだ。そのこと自体がもはや僕たちにとっては俄かには信じがたいことでもあるけれど、現地からそのことを考えると、何ともいえないリアルさをともなってその事実が立ち上がってくる感覚がたしかにあった。北京に戻ってきて、これを書いている今でも、目を閉じて想像力をめぐらせると、僕は今でもはっきりと耳朶に蛟河の町の喧騒を聞くことができる。

 

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 長春に戻ってきてから、パートナーは予定があったので一足早く北京に戻り、僕はひとりで長春駅から夜行列車に乗って、半日かけてハイラルへと向かった。窓外の景色は広大な東北の大地から徐々に内モンゴルの所々にまだ薄氷の残る草原へと移り変わっていく。この無際限に広い東北地方を実際に歩いていた当時の日本軍は、本当にこの地を押さえられることができると思っていたのだろうか。そんな疑問ばかりが脳裏に浮かんでは消えていった。

 

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